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保毛尾田保毛男的なゲイだって、選択肢の一つに過ぎないと思えば腹も立たないと思うんだけど [ニュース読んでみて]

2017年10月4日の東洋経済オンライン、「保毛尾田ネタ炎上、鎮火しても残る『違和感』」という記事です。

 

内容を無理にまとめると、こんな感じ。

 

・番組中のコーナーで、約30年前に人気だったとされる、とんねるずのキャラクター「保毛尾田保毛男」と「ノリ子」が登場

・これに対して、Twitterを中心に批判が噴出。さらに保毛尾田を擁護する意見も多数寄せられ、いわゆる炎上に発展

・フジテレビ社長が「もしその時代が違っていて、不快な面をお持ちになった方がいたことは、テレビ局としては大変遺憾なこと」と謝罪するに至った

・今回の件が「フジテレビが謝罪してよかった」で終わり、風化していくのではなく、丁寧な対話や、よりよい表現が増える1つのステップになることを願う


 

はーん。


 

今更ながら、この話題に乗っかります。乗っかりますというか、完全に乗り遅れてるんですけど(笑)ひと通り世間の意見も出尽くして、自分の中でもいろいろ考えましたので、そのまとめとして。

 

えーと、まずお伝えしときたいのは、俺自身は女性が好きな男で、マジョリティ側であること。

これはゲイだと思われたくない!とかではなく、マジョリティ側の意見なので、LGBT側の考えは想像でしかないので、何か根本的な勘違いがあったらすみません、ということです。

 

で、その前提で言わせてもらいますと、あーゆーお笑い、キャラクターまで否定するのって、表現の幅云々ってより、LGBT側の首もしめるんじゃないか?ってことです。

 

あの、これはあくまでも想像ですが、保毛尾田保毛男がいたことで救われたゲイってのも当時いたんじゃないかと思うんです。

 

割合は知りませんよ。傷ついたゲイと救われたゲイで言ったら、傷ついたゲイのが圧倒的に多いんだ!って言われちゃったらそれはそれですけど。でも、いると思うんだよな。

 

保毛尾田保毛男が全盛だった当時、世間からしたらゲイは今よりも得体の知れないもので、今よりも風当たりが強かったでしょう。

 

そこへ保毛尾田保毛男が登場する。当時、保毛尾田保毛男のマネをして笑いをとることで、クラスの中で居場所を獲得したゲイってのもいると思うんですよ。

 

お前、ホモかよ!なんて心無い言葉に対し、あくまでも噂なの、なんてギャグで返して、カミングアウトをウヤムヤにする、とかね。

 

つまり何が言いたいかと言うと、とかくマイノリティには生きにくいこの世の中に、あーゆーキャラクターを作る、演じることで、自分のセクシャリティを笑いにすることで対抗する。

これは選択肢の一つとして全然アリだと思う、ってことです。

 

いいか悪いかは別にして、自分のコンプレックスであったり、あまり人に明かしたくない部分について、あえて笑いにすることで逆に武器にしちゃう、というのは普通にあることで。

 

デブがデブをネタにして笑いをとったり、ハゲがハゲネタで笑いをとったり、例はいくらでもある。

 

変な話、おネエタレントだって、そーゆーことですよね?

 

おネエは保毛尾田保毛男みたいなキャラでなく、実際性的なマイノリティである、という点で根本的な違いはありますが、

 

あのおネエのキャラがあの人達の素だとは思えない。ある程度テレビ用にキャラは作ってるでしょ。

 

それで言ったら、おネエの人達は自分の中のマイノリティの部分を笑いとかに変えて、世の中で一定の地位を確立した人達、ですよね。

 

LGBTの人達が実際今回の保毛尾田保毛男騒ぎにどれくらい反応したのかは知りませんけど、

 

LGBTの人達が保毛尾田保毛男を否定するというのは、この笑いにする、という選択肢を否定することだ、と思うんです。


 

で。


 

笑いにする、というのはもちろん選択肢の1つに過ぎず、全てのゲイがとれる選択肢ではない。それは当たり前です。

 

自分がゲイであることに触れられたくないゲイもいるでしょうし、目立ちたくない、静かに暮したいゲイだっているはずです。単純に笑いのセンスのないゲイもいるだろうし。

 

そーゆー人達からしたら、保毛尾田保毛男は不快だと思うんですよね。

当時保毛尾田保毛男的なイジり方をされて不快な思いをしたゲイも当然いると思う。

 

その意味では保毛尾田保毛男は批判されるべきかも知れないです。

 

ただ、それが差別だとか差別じゃないとかの話になってくると、それは俺には違和感があるんだよな・・・

 

問題は、保毛尾田保毛男単体というよりも、

テレビから提供されるわかりやすいゲイのモデルが、保毛尾田保毛男しかないってことなのでは、と思うんですよ。

 

世の中でマイノリティとされるゲイの生きる道として、保毛尾田保毛男的に自分のセクシャリティを笑いに変える、という選択肢はあってもいい。

 

ただ、それはあくまでも選択肢の1つであって、全てのゲイが笑いに生きられるわけではない。

 

それなのに、テレビから提供されるわかりやすいモデルが保毛尾田保毛男なので、世間からすると全てのゲイのイメージが保毛尾田保毛男的に固められてしまう。

 

問題があるとすればそこじゃないかと思うわけ。

 

だから、保毛尾田保毛男は差別的だ!というより、保毛尾田保毛男以外にも、多様なゲイの形を描け!という批判なら、的を射てるんじゃないかと思うんだけどな。


 

保毛尾田保毛男的なキャラクターを作る、演じるというのは、

 

別にゲイの生き方の選択肢の1つとしてはアリだと思う。

 

それができないゲイには不快な思いをさせるだろうから、

 

その意味では批判されるべきかも知れないけど、

 

保毛尾田保毛男を差別的だと言っちゃうと、

 

ゲイの生き方の選択肢を1つ潰しちゃうことになって、LGBT側の首もしめるんじゃねぇか。

 

だから保毛尾田保毛男の話を差別問題というと、どーにも違和感を感じてしまう・・・

 

と、思った、という話です。

 

はーぁ。寝よ。

 

 

モテないヤツは周囲からも同情されません。

 

なぜなら、1から10まで自己責任だから(笑)

 

それはそれで辛いんだけどな~~!!



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