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ゆりやんのネタに対し、見た目を笑いにするのはご法度、は潔癖すぎると思う。見てないけど。 [ニュース読んでみて]

いろいろ考えたり、考えなかったりしたのですが、やっぱりアメブロは辞めてこっちに戻ってくることにしました。
まぁ、大体がものすごいたくさんの人に読まれてるわけでもないので(笑)どこで書こうが関係ないんですが、まぁ一言で言えばアメブロがいまいち気に食わなかったという・・・
更新頻度はあんま高くないですが、こちらで記事書いていきますんで、よろしくお願いします~

2019年6月19日の女子スパ、「ゆりやん、米テレビ出演に観客は『ドン引き』『大ウケ』と真っ二つ。現地の声を聞いた」という記事です。

無理にまとめるとこんな感じ。

・お笑いタレント、ゆりやんレトリィバァ(28)の米オーディション番組への出演が話題に
・結果は不合格、手拍子しながらノリノリで一緒にダンスをする観客もいれば、「オーマイガー」という表情で首をかしげる観客もいて、その反応が真っ二つに
・今、アメリカのみならず欧米各国で「ボディポジティブ(どんな体型でも自信を持とう)」とする動きが広がっている
・「見た目を笑いにすることは芸には入らない」という意見が欧米のスタンダードであり、本来そうあるべきなのだ


ふーん。


その、前提としてなんですが、俺そもそもゆりやんみたいなお笑いがあんまり好きではないんですが(笑)
わー、体張ってんなぁとか、すげぇ度胸だなぁ、みたいな評価しかしたことが無い。笑ったことはほぼない、かなぁ。

まぁ、それはそれとして。

この記事の感想としましては、体型や容姿を笑いにするのはご法度、というのはさすがに潔癖すぎるのではないか、ということ。
別にいいじゃん、それでも、と。

何かゆりやんが責められることがあるとすれば、
見た目を笑いにする、ということ以外に芸と呼べるようなものが無く、
ダンスとかもレベルが低くて、対して面白くなかった、ということ、何じゃないですかね。

いや、見てないんで知らないんですけど。
ゆりやんの芸が面白くなかったことと、体型や容姿を笑いにするのはご法度だ、ということを結びつけるのはちょっと違うんじゃないか、潔癖すぎるのでは、と思うんです。

あの、逆だったらどうなのかな、と思うんですよ。

逆というのはつまり、
ゆりやんが出たアメリカの番組に、
ものすごくかわいくてスタイルもいい女の子が出て、
ゆりやんのような水着を着て(でも同じ水着なのにすごくセクシーで)、
でもやってることはなんか中途半端なダンス、
かわいい女の子が無様に中途半端なダンスをするのが逆に面白い、
みたいな芸をする人が出たときに、

まぁ、落ちるでしょう、その人は。

その時に、

それは我々の番組で勝ち抜ける芸としてのレベルに達していないから落選ね、

という話にはなったとしても、

かわいい顔とか、大きいオッパイとか、ハリのあるお尻で笑いを取ろうとするなんて、それはご法度だよ!
と、いう話にはなるのかなぁ、と、思う。

それは多分ならないんじゃないかなぁ、と思うんですよね。
もうちょっと練習して、芸を磨いてから来てね、って言われるくらいのもんじゃないかなぁ?

まぁ、かわいい女の子が変なダンスを踊る、というのを笑いにしようというのはそもそもかなり難しいとは思いますが・・・

ブサイクの芸が足りないとブサイクを売りにして笑いを取るなんてご法度だ、と言われ、
かわいい子の芸が足りなくてもかわいいを売りにして笑いを取ろうなんてのはご法度だ、と言われない、というのは、
まぁ、差別とまで言えるかどうかは分かんないですけど、歪みだよなぁ、とは思います。


ゆりやんの芸としては、
ブサイクで、体型も太ってるゆりやんが、
一般的な価値観で言えば美人でスタイルもいい人が着るハズのセクシーな水着を着て踊ったりすることで、
そのギャップが面白い、というものでしょう。

で、面白いと感じる人もいるんでしょうけど、
ダンスのレベルが低くて面白くないとか、
ブスが悪ふざけしてるだけで芸といえるレベルに達してないとか、
そもそもこーゆー下品な芸は嫌いだとか、

そーゆーネガティブな意見が出てくるのもそれはそれで当然だと思うのね。

ただ、それを欧米各国のボディポジティブに結びつけたりして、見た目を笑いにするのはご法度、とか言い出しちゃうのはちょっと違うのでは無いかなぁ、と思うんですよ。

あ、もちろん、見た目を笑いにするような芸は嫌いだ、という好みの問題としての話はアリだと思います。
俺もどっちかというとそのテの笑いは好きじゃないし。

ただ、そういった笑いの好みの話を、ボディポジティブなんつー言葉まで持ちだして、ご法度なんて言い出しちゃったりするのは、
ちょっと大げさで、潔癖すぎじゃないか、と。

仮にスタイルのいい子が変なダンスで笑いを取ろうとした時に、同じことを言うのかい?と。

別に俺はゆりやんのお笑いは好き、俺は嫌い、そんな程度のことでいいんじゃないの?と。

というか、ブサイクの数少ない武器である、笑いを取るななんてそんな残酷なこと言わないでやってくれ、美男美女に勝てる、かもしれない数少ない武器なんだから!と。

そんなことを思った、という話です。
多分、最後のが本音(笑)


はーぁ、寝よ。




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佃製作所がブラックではない、というのは、働き方の描き方を変えずに描けると思うんですよね [ニュース読んでみて]

2019年1月8日のITmediaオンライン、「『佃製作所はやっぱりブラック企業』と感じてしまう、3つの理由」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・ドラマ「下町ロケット」は、ロケット技術者から町工場の社長となった主人公・佃航平と、彼が率いる「佃製作所」の社員たちが高い技術力を武器に、さまざまな困難に立ち向かって夢をつかむというストーリー
・このドラマの内容と高視聴率を客観的に眺めてみると、ぶっちゃけ、日本の未来に対する「不安」しか感じられない
・大きく3つの問題がある(1)佃社長による「やりがい搾取」(2)長時間労働を強いる職場の同調圧力(3)とにかく気合いで乗り切る精神至上主義
・中国やベトナムからやって来た労働者に、佃航平はいったいどんな精神論を振りかざすのか。そして、彼らは佃航平の「夢」に賛同して、日本人社員のように文句ひとつ言わず、長時間労働に従事してくれるのか。


はぁ、はぁ。


えーと、ちょっとブラック企業よりに見えるかも知れない記事を書きます。
前提として申し上げておきたいのですが、ブラック企業っつって長時間労働や同調圧力を使って、社員を過労死に追い込むようなレベルのブラック企業について、こんなもんを擁護する気はないです。その前提でお願い致します。


で。


あの、俺自身はですね、サラリーマンでございますが、長時間労働をするつもりは全くないです。

ただ、別に長時間労働しようと思えば、します。

まぁ、むちゃくちゃ言ってるとは思いますが(笑)

その、俺の中でブラック企業って、長時間労働云々もそうなんですけど、

「自分が注ぎ込んだリソースに対して、リターンが少ない、もしくはリターンがあると感じられない」会社だと思うんです。

何が言いたいかというと、まず、1日は24時間ですよね。
で、その24時間の内、食事とか睡眠とかその他いろいろ生活に必要なことで10時間取られるとしましょうか。そうすると残りは14時間ですわ。
その残りの14時間、つまり自分が使えるリソースをどう使うか、もっと言えば自分の将来とかのためにどこにどう投資していくかという話を考えた方がいいと思うんですよ。

例えばその14時間を1時間ずつチップにして、その14枚のチップをどこに賭ける、と考えるとね。

まぁ雇われの身である以上就業規則ってもんがありますから、9時~5時で仕事するとしたら8時間労働でしょ。

そうするとそこにチップ8枚とられますから、残りのチップは6枚で、その6枚をどこに賭けるか、という話があると思うんです。

で、ギャンブルをする時に賭ける場所を決める根拠は、当然勝てる可能性が高いかどうかとか、勝ったときのリターンが大きいかどうか、とかでしょ。

俺が今の会社で長時間労働をしないのはそれで。

つまり今の会社でたくさん残業をする=8枚以上チップを賭けたとしても、リターンが見込めない、俺のチップを賭ける先としてどうか、と思ってるからなんですよ。
何なら毎日毎日8枚チップを賭けることすらもったいないと思ってる。なので残り6枚のチップは極力他の所に賭けたいなぁと思ってるんですね。なんかいろいろ、勉強したりとかさ。

リターンはまぁ必ずしもお金とは限らないかもしれないけど、チップを賭ける枚数が同じならお金がたくさん稼げた方がいいし、やりがいだってあった方がいいでしょう。
人生正解なんてないんだし、可能な限り自分が割りがいいと思うところにチップを賭けたいし、失敗するにしたって納得いく形で賭けて失敗したいもんね。


んで、ね。


会社に対して、俺はチップ14枚全部賭ける!という選択をしたのなら、それはそれでいいと思うんですよ。

つまり、今勤めている会社に対して14枚のチップを全て賭けることで、大きなリターンを得られるに違いない!
例えば一生懸命働けば給料が右肩上がりで上がっていくとか、福利厚生がしっかりしてるから生活の心配はないとか、ドカンと退職金がもらえて退職後も面倒見てもらえるとか、
賭けたチップに対して相応のリターンがある、だから俺はこの会社に全て賭ける!と、言うのならそれはその人の選択じゃない?と。

俺が長時間労働してもいいと思うのは、チップ14枚賭ければ大きなリターンを得られる!と思えば長時間労働も辞さないですよ、ということ。
極端なこと言えば、お前の人生賭けるなら、会社が人生丸ごと面倒見てやるよ、というのならまぁ、長時間労働してもいいかな、とは思うんですよね。

それで言うと、ブラック企業というのはあの手この手・・・やりがい搾取とか同調圧力とか・・・を使って、強制的にチップ14枚全部賭けさせているのに、リターンがものすごく少ない会社のことであって、

社員が自分からチップを賭けたい!と、思わせて、かつ賭けたチップの分しっかりリターンがある会社については、たとえ長時間労働だとしてもブラック企業とは言わない気がする。

逆に言えば、定時上がりのできるブラック企業ってのもあり得そうな気がするけどね。でも定時上がりができるんならチップ6枚を他の副業とかに使うことができるんだから、まぁいいのか・・・


で。


この記事の筆者の言う、佃製作所をどう描くのか、ということなんですけど、
今の熱い技術者のドラマ、何時間も残業して社員一丸となって夢をかなえる、みたいな展開はそのままでいいと思うんです、俺的には。

それに対して、社員が報われてるシーンを追加する、というのはどうでしょうか?
ライバル会社をやっつけた!みたいなシーンだけでなく。

例えば新製品開発が成功して、社員全員に特別ボーナスが出るシーン、とか。
頑張った社員が認められて出世して、給料上がって付き合ってた彼女と結婚出来たシーン、とか。
定年を迎えた社員が退職金でお店を開いて成功するシーン、とか。
佃製作所で経験を積んだ社員が独立、新会社を設立するシーン、とか。

まぁ、特別ボーナス100万円でたぞ!とか具体的な数字出ちゃうと生々しいかもしれないけど(笑)
なんかいろいろドラマの描き方でできるんじゃないかなぁ、という気がします。

ただ搾取されてるわけじゃないぞ、大きなリターンがあるから、社員は納得してたくさんのチップを賭けているんだぞ、ということを描けば、ブラック企業ではない、といえるんじゃないかなぁ、と。


長時間労働かどうかだけでブラック企業かどうかを判断するのはちょっと違うんじゃないかという気がする。


ブラック企業とは、社員が注ぎ込んだリソースに対して極端にリターンが少ない会社のことであって、


社員自体が納得して自分のリソース、ここで言っているのは主に時間ですが、を、注ぎ込んでいるのなら、かつ、リソースに見合った、あるいはそれ以上のリターンが帰ってくるならそれでいいんじゃない?と、思う。


なので、下町ロケットも、社員に対して大きなリターンがあるシーンをたくさん描けば、ブラック企業とは言われなくなるんじゃないですかね。


と、思った、という話です。


まぁ、熱意と根性で開発をしていたエンジニアが、特別ボーナスで浮かれてるシーンとか流すと、それはそれで人気下がるような気もしますけどね、日本人のメンタリティ的に(笑)


はーぁ、寝よ。


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嫌だというのは分かりますが、ブスをブスと認めるのと女性蔑視は違うと思うよ、と。 [ニュース読んでみて]

「批判殺到『ちょうどいいブス』。Twitterユーザーの92.7%が否定派『女性を呪うな』『女性蔑視』」
という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・「ちょうどいいブスのススメ」というドラマが放送中。原作は、お笑いコンビ「相席スタート」の山崎ケイさんによる同名エッセイで、山崎さんの「モテ技」がまとまったもの。
・「『私って、美人じゃないけど、ブスでもない…』そんな方にこそ、ご提案したい…。『もしかしたら私、ブスなんじゃないかな』と一度、仮定してみませんか?」
「あなたたちの生き方は間違いだらけ! それこそがブス! まずは自分が思っている以上に自分がブスであることを受け入れなさい!」といったメッセージを持つ
・ツイッター上では、「女性蔑視」等のネガティブな反応が92.7%
・そろそろ平成も終わる中で、「容姿イジリ」文化の終焉が来ているのかもしれない


はぁーん。


あの、このテの記事・・・つまり、女性差別だ、女性蔑視だ、という意見を表明している記事についてなんとなく思うことなんですけどね。

大体その、対案がないよね。
それって、基本的にはいろんな人を苦しめるだけだと思うんだけど。

あの、ちょうどいいブスのススメが女性蔑視かどうかは知りません。
ただ、少なくとも原作者の山崎ケイさんについては「ものすごく美人」としての生き方ではなく、自分の容姿のレベルを受け入れ、そのレベルの中でどう生きれば自分の望む人生が手に入るか、ということを考えた結果だと思うんです。

に、対して、この否定している人たちって、なんつーの、じゃぁ自分はどうしよう、みたいなことは全然考えてないんじゃないかな、と。
批判、まぁ、ブスと言われることは嫌だ、それによって生き方が規定されてしまうのも嫌だ、その気持ちは分からなくはないが、じゃぁ、どうすんの?あなたは?超美人としてこの先ずっと生きていくの?という。

あの、念のためお伝えしておきますと、俺自身は、ブスです。
まぁ、どうひいき目に見てもイケメンではない。
どう頑張って評価しても、まぁ中の下がいいとこ・・・という人間です。
ほら、ダメージ少な目になるように言うのが、リアルでしょ?(笑)

仮に俺がものすごいイケメンに生まれていたら、人生違ってたと思いますよ。
イケメンの方が絶対幸せだったかは分からないけど、少なくとも同じ人生は歩んでないと思う。
ただ、それを言ったってしょうがないし、配られたカードで勝負するしかない。そんなの当たり前じゃないですか。

その勝負の仕方が、「ちょうどいいブス」として生きる!と、決めたのであれば、その人はそれでいいじゃん。否定したってしょうがないでしょ。

「ちょうどいいブス」と言われて生きるのも嫌だ、周囲に人生決められたくない、もっともっと自分は輝けるはず・・・みたいなことかしら、これを批判している人たちって。
それって、本人がとっても苦しいと思うんですよ。だって決めてないんだもん、自分の生き方を。そんな状況じゃ自己評価も青天井だし、理想の人生も青天井でしょ。
「ちょうどいいブス」として生きるのも嫌だ、他の生き方でも押し付けられるのは嫌だ、みたく、いろんなことに文句ばっかり言いながら人生終わってくんじゃなかろうか、とか思ってしまうなぁ。


で。


まぁ、日本において女性に用意されている生き方、あるいは価値観が、女性蔑視的なのはそれはそれで分かります。

例えば男の後を黙ってついていくのがイイ女だ、みたいなことだったり、

若いうちに家庭に入っていい母として生きていくべきだ、とか、

男の浮気は甲斐性だけど、女の浮気は許されない、なんてなことがあったりしますわね。

このあたりのことは当然時代にあってないわな、と俺も思いますが、
ただ生き方を押し付けられるのが嫌だ、というのが強すぎて、対案が出てきてない気がします。

ちょうどいいブスに限らず、生き方を押し付けられる感じがして、なおかつ女性蔑視的な臭いが少しでもするとすぐ炎上するでしょ。
さっき書いたようなことは女性蔑視的なのは分かるけど、それに対応する案がない、ような気がするんですよ。
あえて言えば「他人に流されず、主体的に生き方を決め、自分らしく生きる」ことが対案だと思うんですけど、まぁ、男女関係なく苦手でしょ、日本人、それ(笑)

じゃぁその、仮にですけど、
顔もスタイルもバツグンに良くて、
男以上にバリバリ仕事をして金を稼ぎ、
子育てや家事をしっかりと分担して行うパートナー(しかもこのパートナーの年収は妻と同程度)と2人の子どもを育て、
しかも職場やママ友との間でも人気者、
みたいな人が存在して、その人をモデルにドラマが作られたとして、
そんな人の人生がアナタのモデルになりますか?と。

少なくとも俺のモデルにはならないよ、仮に男女が逆だったとしても(笑)

まず俺はブスだし!スタイルも悪いし!
収入も低いし、パートナー、恋人もいないし!
性格もねじくれ曲がってるし!

でもそれはそれでしょうがないじゃん。
その配られたカードの中で勝負するしかないでしょ。
その勝負の成功例が、ちょうどいいブスのススメだとすれば、素直にそれに学んだ方がいいと思いますけどね。


女性蔑視だ、差別だとか言ってる人って、この記事に限らず大抵の場合対案を持ってないかんじがする。

生き方を決められたくない、そんな押しつけは女性蔑視、差別だ、って言ってるだけ、みたいなね。
じゃ、アナタにとっての理想ってなんなの?みたいなことになんの答えも持ってない、みたいな。

昭和的な女性観ではなく、新たな女性の人生モデルを作ろうと考えた時に、

そりゃ世の中(俺も含めて)ブスの方が多いわけだから、超美人の人生をモデルにしたところで参考にできる人は少ないでしょう。

であれば、ちょうどいいブスの話についても、ちゃんと1つの事例として聞いた方がいいんじゃないの?

と、思った、という話です。

ちなみに、この記事で紹介されてたツイートのひとつに、

もう頼むからこれ以上女を呪うなよ、男に対して「自分をちょうどいいブスだと主体的に位置付けて謙虚に生きることで幸せになれるよ


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恋愛をしたことがあるない関係なく、この程度の記事しか書けないのがライターってのはどうなんだろうか [ニュース読んでみて]


2018年8月28日のITmedia ビジネスオンライン、「『彼氏がほしいと思ったことがない。結婚もしたくない。老後も好き勝手にやる』アラサー女性の恋愛観に共感・批判が続々」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・“ひとりを楽しむ“がコンセプトのウェブサイト『DANRO』に掲載されたコラムが大きな反響を呼んでいる
・コラムの配信先・Yahoo!ニュースのコメント欄には、1000件近くの意見が寄せられ、理解できないという意見に混じり、共感するという意見も
・共感意見「確かに一緒にいるし、家で2人きりでも何もない異性の友達っているわ」「メイクとか頑張るのが面倒くさい」「ポジティブに考えれば自分の時間、おカネを他のことに使える」
・理解できない意見「本当に愛する人に出会えればメリット・デメリットで恋愛を見なくなる」「面倒くさいからと言ってあえて避けるのも自分の成長につながらないと思っていて、相手を思いやるっていうことの大切さを失っている気がする」


へーぇ。


あの、俺の最初の感想としましては、

まぁ、このライターの書いた記事とか、本とか、
他にあったとしても読む気がしないな、ということで。

このブログを読んでくださっている奇特な方であればお分かりいただけるかと思いますが(笑)
そんな、恋愛もしたことのない女の書いたものなんて読む気がしない!なんてロマンチックな理由では当然なく。

俺がそういう風に思ったのは、知らないこと、分からないことに対する姿勢がそんな程度のライターの書いたものは、読む気がしない、ということです。


あの、恋愛だの、結婚だの、しようがしまいがどうでもいいですよ、ホントに。

この記事に出てくるライターが、
この先結婚しようが、結婚して後悔しようが、
結婚しなかろうが、結婚しなくて後悔しようが、
逆に結婚して幸せになろうが、結婚しなくて幸せな人生送ろうが、

ホントにどーーーでもいい。

その辺は、お好きになさって、という感じです。


俺が言いたいのは、

まぁ、一応肯定派が多数いる恋愛、結婚というもの、
さらに言えば恋愛、結婚はした方がいいよ、とオススメしてくる人が結構な数いる恋愛、結婚について、

関心を持てず、背を向けて30年生きてきた、

ということは周りにいろいろ言われたり、周りが恋愛・結婚をしたりして悲喜こもごもがあったりしたろうに、

それで持った思いがこの程度なの?と、いうことです。

以下、記事内でのこのライターの発言を一部引用しますが、
「支え合いがって言うけど、そんなに支えが必要な場面、ありますか?関係を維持するのに毎週とか2週間に1回とかのペースで会うのって、ちょっと面倒くさいなと思っちゃう。いや〜時間に余裕があるのかな、暇なのかなって思う」
「人から好きでいてもらわないとみたいなのがない。誕生日とかも含めて、イベントごとやりたいっていうのも全然分からない」
「恋愛観に関しては親から何も言われないが、チクチクと結婚については言われたりする。でも気にしていない。今は結婚に対する圧力も減っているので、あんまり結婚願望がない人にも優しくなってきて良いなと思う。お互い好きであれば一緒にいればいいというだけの話なので、それを制度的に法律で、というのはちょっと分からないなと思っている」

・・・うん。

面倒くさい、暇なのかな、分からない。

あの、「恋愛・結婚したい人の考え」が分からないからと言って完全に思考が停止しているだけであり、
このライター独自の視点、切り口もない、
恋愛をしたくないのに周りからのプレッシャーがあって、みたいな鬱屈した思いがあるわけでもなく、
なんの深みもコクもない、ただ分かんねー分かんねー言ってるだけの底の浅い記事だなぁ、と。

まぁ、この記事だけだと編集の都合とか、文字数の都合とかがあって、ライターの意図が反映されてない可能性もあるし、と思って、この記事のさらにもとになったDANROの方の記事も確認しましたけど、

まぁ、そっちの記事も浅い、浅い(笑)

いいとこ、「ちょっと斜に構えた高校生が、恋愛恋愛言って浮かれてる周りに対して、自分はちょっと周りと違うんだぞということを言いたくて、恋愛なんて興味ねーし、という感じの考え方を披露してみました」くらいのレベルかな。
まぁ、ライターだけあって記事を読みやすくする構成力はあるかなぁという感じですけど、プロの技を感じると言えばせいぜいその程度。

要するに、恋愛に興味ない、結婚に興味ない、そのこと自体は大いに結構、ただ切り口とか視点が浅すぎて、記事・考え方としてはクソつまんない、という話です。
これがつまり、最初に言ったこのライターの記事とか、本を読む気がしない、と書いた理由。

まぁ、別に俺ごときがこんなこと言ったって痛くもかゆくもないでしょうが。
別にベストセラーが書きたいわけじゃないし、とか言いそう。


で。


まぁ、今回は恋愛に興味ない側の意見ですが、基本的に片側のことしか考えてない意見って面白くないよね、と思うんですよ。

その、恋愛至上主義、結婚スバラシイみたいな考えでも、今回のライターの記事とベクトルは違っても、ただただ恋愛って素晴らしい、みたいな考え方って読む気がしないと思う。

例えばなんですけど、

幼稚園とか小学生とかで初恋の人に出会い、
学校とか仕事の都合で離れた時期はあったけど、
最終的にはその初恋の人と結婚し、
子宝にも恵まれて、
夫婦共働きでちょっと大変だけど、
二人で協力しながら子育てをし、
今現在も夫婦仲はとてもいい、

みたいな人に、
恋愛って、結婚って素晴らしいよ、
アナタもぜひ恋愛した方がいいよ、
と、言われても、
うっせーよ、ってなるというか(笑)

そんな順風満帆な結婚生活を送ってる人に、いや、別にその人が幸せで、恋愛スバラシイ、結婚最高ってなってることは別に構わないんだけども、その価値観で恋愛って素晴らしい、と言われても、何にも響かないというか、困る、みたいな。


まぁでも、今まではそっち側の意見が多かったのかな。
つまり、恋愛経験者、既婚者が、恋愛ってすばらしいよ、結婚って素敵だよ、みたいな意見だけを言って、一人でいることについては特に考察されてなかった、みたいな。

その意味では新しいのかもしれないですけどね。

恋愛至上主義者の、恋愛スバラシイ側だけのクソつまんない話の対極に位置する、
恋愛どうでもいい主義の、どうでもいい、理解できないというだけのクソつまんない話、みたいな。

新しいかもしれないけど、クソつまんないのは変わらないので(笑)
まぁ、何か価値があるとすれば新しい、ってことだけじゃないですか。だから意見が1000件も集まるんだろうし。なんつって。


恋愛・結婚に興味が持てなかろうが何だろうがどーでもいいけど、


興味が持てないもの、知らないものについて、


分かんねー分かんねー言うだけで、特に考察も何もないというのは、ライターとしてその姿勢はどうなんだろう、と思う。


そんな程度の姿勢のライターの記事なんぞ、恋愛をしたことある・ないに関わらず、読む気がしないなぁ、という。


とはいえ、今までの社会の中では、


恋愛・結婚って素晴らしい、恋愛したことないなんて分かんねー、理解できねー、みたいな、そういう恋愛しない側について考察も何もない意見というのがはびこってたのかなぁ。


そういう意味では、世にはびこっている意見と真逆のことをあえて言った、ということに価値がある記事なのかもね、


まぁ、クソつまんないのは変わらないけど(笑)


と、思った、という話です。



はーぁ、寝よ。
 


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普通に考えたら市長はエロい目で見てるわけではないと思うんだけど、じゃ、ボーダーはどこ?という。 [ニュース読んでみて]

2018年11月6日の朝日新聞デジタル、「市長『汗で下着が見えるほど』 中学生の活動紹介で発言」という記事です。

内容を無理にまとめると、こんな感じ。

・同県瑞穂市の棚橋敏明市長(68)が6日、被爆地・長崎市へ派遣した中学生の活動の様子を説明した際、「セクハラになるかもしれないが」と前置きして「汗でブラウスが透け、下着が見えるほどだった」と発言
・市長は取材に対し「坂の多い街で、非常に暑い中、汗をかきながら頑張っていた中学生の一生懸命さを表現したいと思った。」
・「セクハラの意図はまったくなかった。そのように捉えられたとしたら心外だ」とのこと。
・棚橋市長の発言は、瑞穂市が2012年に始めた、広島や長崎に中学生を派遣する活動について紹介する際に出た。


あっはっはっはっは。


あの、前提としまして、下着はダメだろう、と思います。
別にこの市長を擁護する気はない、単純にもっと別の表現方法があっただろ、そんなこと言ったらセクハラ扱いされるに決まってるじゃん、という意味ではこの市長相当問題ある、と思います。

ただ、恐らくなんですけど、この市長はホントにセクハラのつもりはなかったんじゃないかと思うんですね。

それはつまり、

女子中学生が、一生懸命作業をしているのを見て、
別にこの市長の股間がパンパンになっていたのではないだろうな、と。
性的な目線で見ていたわけではないんだろうな、と思うんですよ。

汗でブラウスがすけて下着が見えているぜ、げっへっへ、久しぶりに俺の息子も元気になってきやがった、とか思っていたわけではないと思う。

心の底から、女子中学生が頑張っているな、と感じたんじゃないかと思うんですよね、そこで下着が透けていたとしても。

ただまぁ、この市長がガチのロリコンで、女子中学生の下着で70手前にしてガッチンガッチンになっちゃってたとするといろんな前提が崩れるんだけどな。まぁ、そこは市長を信じて(笑)

市長の方は別に性的な目で女子中学生の下着を見ていたのではなく、ホントに中学生が頑張っているな、素晴らしいな、という目で見ていたんだろうと思う。

とは言え、セクハラって基本的には受けた側がどう感じたかなので、
市長が性的な目で見ていないにしても、下着を見られていたと思った中学生の方は気持ちわりぃと思うだろうし、
まぁ、俺なんかが客観的に見ても下着見てた発言はマズイだろう、と、思う。


で。


俺がこの記事面白いなと思うのは、
じゃぁ、どこまでならセクハラとされないんだろうか?と。

市長が女子中学生の下着を見て興奮してたわけじゃないだろう、ということを書きましたが、

あくまでも見てる方が性的に興奮していない、という前提で、

どこまでがセクハラとされないんだろうか、という。

これ、各地の市長がチキンレース的にいろんな部位を挙げていけば、結構しっかりしたセクハラのボーダーラインができるんじゃないだろか、と思うんですよね(笑)

「下着が見えていた」、といった市長はアウトです。こんだけ叩かれてますし。

「額に汗していた」といってもまぁ、セクハラとは言われないような気がするなぁ。

「うなじにも汗が」なんてのはどうだ?ちょっとセクシーに見えちゃうかも(笑)

「二の腕に汗が滴っていた」というのはどうだろう?腕くらいなら叩かれないんだろうか?

「足まで汗をかいて」だったらどうだろう。足なら大丈夫な気がするけど、「太ももに」だとアウトな気がするな(笑)


あの、下着を見ると性的興奮を覚える人がたくさんいるから、それはセクハラだ、というのはまぁまぁわかります。

ただ、上で挙げたうなじだの二の腕とか太ももなんてのも、フェチ的な人はまぁまぁいるし、全然性的な目で見られるよ、ご飯3杯は行けるよ!なんて人もたくさんいるだろう、と思うのね。

性的な、いやらしい目で見ればセクハラだ、というのなら、下着はもちろんのこと、うなじを見ようが二の腕を見ようが太ももを見ようが、それはセクハラになると思うんですよ。

ただ、反対に、うなじで興奮するなんて意味わかんない、って人もいっぱいいるだろうし、
そもそも女子中学生なんて子どもにしか見えない、仮に素っ裸でいたとしたって興奮なんかしない!という人もたくさんいると思うんだよな。

や、つーか、この市長もそうなんじゃないかと思います。
まぁ、普通の感覚で言ったらそうですよね、70歳近い人が中学生を見たら、まぁ孫・ひ孫の世界だろうし、この市長と同年代の人だったら女子中学生の下着を見ようが裸を見ようが性的興奮を覚える人の方がだいぶ少ないんじゃない?と、思う。普通に。


つまり、この記事って、

見てる方に全く性的な意図がなかったとしても、

「下着」を見ていたと発表するのはアウト。

という記事だと思うんですよね。


性的な、いやらしい目で見ていたら上のカギかっこの中が何であれセクハラになると思うんですが、
見る方に性的な意図がなかったとしたら、カギかっこの中はどこまでが許されるんだろう?
まぁ、受け取る側の感じ方ってことはあるにしても、それって結構、セクハラのボーダーとしては重要なんじゃない?なんてなことを思う、わけです。

まぁ、「下着」はアウトだと思うけどね(笑)

全国の市長が、次々と女子中学生の体のいろんな部位を見て、頑張っていた、というスピーチをし始めて、マスコミや世間に叩かれなかった部位を集めてみたらどうだろう。
結構リアルな、セクハラに関するボーダーラインができるんじゃなかろうか。

まぁ、市長もそんなことで人生賭けるのはイヤだろうけど(笑)


ブラウスが透けて下着が見えていた、なんて言っちゃうのはアウトだろう、と思うものの、


普通に考えれば市長の方はいやらしい目では見ていなかったんじゃないの?とも思う。


そうは言っても下着て、アナタ。それはマズいでしょ。というのは分かりますが、


じゃぁいやらしい目で見ていなかった場合、どこまでだったら許されるんだ?ということには割と興味があるなぁ。


まぁ、この市長がガチのロリコンで、女子中学生の下着見て興奮しちゃってるとなると、この記事の前提が崩れちゃうんだけどね(笑)


と、思った、という話です。


はーぁ、寝よ。
 


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暴力がわりいのは当然なんだけど、ただ単に暴力と少ない国と比べてもしょうがなくね?とも、思う。 [ニュース読んでみて]

2018年9月11日のITmedia ビジネスオンライン、「日本人が『ある程度の暴力は必要』と考える、根本的な原因」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・スルガ銀行や体操協会等、最近「暴力指導」が次々に明るみに出ている。
・ある調査では、教育にある程度の暴力が必要、という日本人は57%にも上る(体罰が犯罪となるスウェーデンでは10%)
・日本人が教育に暴力を容認するようになるきっかけとなったのは、1885年に文部大臣・森有礼が始めた教育改革で、「教育現場の軍隊化」を進めたとされる。
・暴力指導とは日本人にとって、理性や合理的思考を超越した、もはや信仰のような存在で、「暴力はダメよ」という社会になっても、ひっそりと一部の熱心の「信者」が隠れキリシタンのように守られていき、こっそりと暴力指導が続いていくのだろう。


ふーん。


あの、記事はとても面白かったです。

暴力指導が始まるきっかけとなったことが、そこから来てるんだなぁ、分かんないけど、多分そうなんだろうなぁ、なんて。

で、俺がこういう記事を見て思うことは、

結局、暴力指導の効果のほどはどうなの?そこをちゃんと比較検証しないとあんま意味なくない?

ってことなんですよ。

誤解してほしくないのは、暴力肯定派ではございません、ワタクシ。

ただ、暴力肯定派をどうにかしようとしたら、比較検証しないと意味ないんじゃない?と、思うんです。

一応記事の中では、日本ではある程度暴力容認するのが54%、スウェーデンが10%、とか、そんな比較はありましたけど、
暴力容認派からしたら、そんなもん文化が違うんだからしょうがないだろう、ってだけの話だと思うんですよ。

例えばですけど、スポーツの話で言えば、
〇〇オリンピックで、暴力指導を行っている日本は体操でメダルが〇個しか取れなかったけど、暴力ではない〇〇という指導法を取り入れている〇〇という国は、なんと〇個もメダルを取っているのです!

とか。

暴力指導がまかり通っている日本は、学力テストで世界第〇位だったけど、世界第一位の〇〇という国は、こんな指導法で世界第一位を取っているんです!

とかさ。

そういう比較がいるんじゃないか、と思うわけです。

スウェーデンがどうなのか知りませんけど、仮にスウェーデンが日本よりもスポーツも弱い、学力も低い、経済的にも貧しい、という国だとすれば、仮にそうだとすればですよ、

じゃぁ、暴力指導の方が強い国を作れるんじゃないか、俺の指導は間違ってなかった、
とか考える暴力教師やら上司やらが出てきても仕方ないんじゃないか、と思う。

まぁ、人の幸せはスポーツとか学力とか経済だけじゃ測れない、とかややこしいことを言う人が出るかもしれませんが、それは置いておいて。

暴力指導を否定するなら、そうではないこういうスバラシイ指導方法があるよ、という対案があった方がいいんじゃないかな、と思うんですね。


実際に、暴力容認派がぐうの音も出ないほどの、暴力指導と対を成すような何かスバラシイ指導の方法があるとして、

実際にいろんな成績を比較するとこんな違いがでるんだよ、という話になれば、

まぁ、それでも頑なに暴力をふるい続けるバカはいなくはならないだろうけど、

暴力をふるわなくてもこうすれば成績が伸びる、という話がちゃんと広まれば、

暴力をふるうヤツもやりづらくなってだんだん暴力が減っていくんでないの?

その指導法がちゃんと定着した時に、

スウェーデンみたく体罰を法律で禁止すればいいんじゃないかなぁ。

今、体罰でしか指導できないような未熟な指導者は、

体罰止めれ、とだけ言ってもどうしていいか分かんないような気がするけど。

と、おもった、という話です。


はーぁ、寝よ。
 


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感動をありがとう、なんて話が蔓延したら、マスコミにバカにされてると考えて間違いないと思う [ニュース読んでみて]

2018年8月28日のITmedia ビジネスオンライン、「マスコミの『感動をありがとう!』が、実はとってもヤバい理由」
という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・24時間テレビ、甲子園の金足農業高校、行方不明の2歳児を発見した78歳の尾畠春夫さんの生き様等々、今年の夏は「感動の夏」といえるが、このトレンドはかなりヤバいと感じる
・「感動できれば全てよし」という話の流れになり、「退屈だけど重要な話」を考えなくなる
・事実、24時間テレビが放送され続けても日本での障碍者の待遇は良くなっていないし、甲子園が開催され続けても球児の待遇は改善されず、体を壊す球児が後を絶たない
・1932年に敵陣の鉄条網を爆破するため、点火した破壊筒を持って突撃・自爆した3人の陸軍兵士、「爆弾三勇士」事件の際も、マスコミが煽って日本中で「感動をありがとう」の大合唱が起こった。「感動至上主義」は、そのような狂気に走る可能性を秘めている。


ははー。


あの、記事はとても面白いと思いました。

日本のマスコミの嫌~なところをうまいことえぐってるなぁ、と。面白かった。

俺の方でも、この記事読んで、マスコミが感動を煽ることについて、思ったことを書いてみたいと思います。


あの、そもそもの話なんですけど。

「感動」にフォーカスした物語って、ものすごく幼稚だとおもうんですよ。

ハッキリ言っちゃえば、「感動をありがとう」なんつって感動、感動を押してくるなんてーのは、

我々のことをバカにしている、バカ扱いしている、と考えて間違いないかと。


感動にフォーカスした物語ってつまり、「童話」だと思うんです。


例えば、シンデレラの物語は、

意地悪な継母や義理の姉にいじめられていたシンデレラが、

魔法使いの力を借りて王子様に見初められ、

結婚して幸せに暮らしました、めでたしめでたし。

という物語ですよね。


ただ、裏をちょっと考えれば、


何か知らんけどシンデレラの方も相当どんくさいからいじめられてたんじゃねーの?とか、

なんで魔法使いはシンデレラばっかひいきすんの、顔か?結局顔なのか??とか、

結婚して幸せってねぇ、王子と結婚なんて幸せなだけじゃなくていろんなことあったと思うよ、シンデレラなんか城内の人間からしたら成り上がり者なわけだしさ、とか、


まぁ、ツッコミどころはいくらでもあるわけです。


でも、そーゆー余計な要素を全部排除して、かわいそうな女の子が王子様と結婚して幸せになりました、という感動物語でまとめられている。
ただ、シンデレラはそれでいい。それが許されるのは、童話だからです。


子どもがそれを見て感動する、あぁ、私もシンデレラみたいになりたい、と思う、それはいいんですよ。

ただ、大人になってシンデレラの物語に心から感動してたら、それは心がキレイというよりも、コイツちょっとアホなんじゃないの?という話じゃないですか。


で。


この記事で書かれているマスコミが提供してくる情報って、簡単に感動物語にしている、本当は裏にいろんな現実があるはずなのに「童話」にしてしまっている、感じがします。


重い障碍に悩まされているけど、

一生懸命努力して、

何かスバラシイことを成し遂げましたとさ、めでたしめでたし。


県外から強い選手を引き抜くことができない公立校だけど、

一人のスーパーエースをみんなで支え、

力を合わせて甲子園の決勝に行きましたとさ、めでたしめでたし。


・・・このストーリーで感動しちゃうのは、童話を読んで感動しちゃうのと何ら変わんないと思うんですけど、どうなんでしょう。


いや、まぁ、分かりますよ。

その、現実が複雑で、ややこしいから、たまにはシンプルな物語を頭空っぽにして見たい、みたいなことは。

俺もその、スーパーヒーローが悪人をバッタバッタとやっつける、みたいな映画とか見るの好きですしね。


ただ、童話・物語ならともかく、障碍者の人生も、高校球児の人生も、現実なわけです。
現実がね、そんな、童話のようにキレイごとだけで構成されてるわけないじゃないですか。

24時間テレビ見て感動した、甲子園見て感動した、それは別に構わないと思います。

ただ、たまには頭空っぽにして感動したくて感動した、というならともかく、

テレビでやっていることが全てで、それが丸ごと現実だと考えて、それを見てなんてスバラシイ!なんて言って感動しているのだとしたら、

その裏にある現実を想像することすらできないのだとしたら、

それは童話を読んで感動してるようなもんで、なんだかずいぶん幼稚なんじゃないの、なんてなことを思います。


また、そーゆー童話を提供しておけば、視聴者は勝手に感動して、視聴率はうなぎ登りだぜ!なんてマスコミが考えているんだとしたら、

それはずいぶん人をバカにした話だなぁ、と、思うわけです。


でも、24時間テレビも甲子園も、何ら改善されることなく毎年開催・放送されるってことは、

まぁ、現実を童話化している、かなり人をバカにしたマスコミと、
童話をまるまる現実だと思って見ている、だいぶ頭が幼稚な大人、
という関係は、少なくともマスコミの商売が成立するくらいには存在しているってことなんだろうなぁ。


感動にフォーカスした物語って、いろんな都合の悪いことを排除した「童話」に近いものだと思う。


たまには童話みたいなシンプルな物語で感動したい、というのは分からなくもないけど、


障碍者の人生や、高校球児の人生といった、


「現実」を「童話」にしてしまうのはいかがなものかと。


とはいえ、「現実」を「童話」としてとらえて感動しちゃう幼稚な大人って、


少なくともマスコミの商売が成立しちゃうくらいの数は存在してるんだなぁ。


「童話」を提供してりゃぁ商売になるだろう、なんてマスコミが考えてるとしたら、


それはずいぶん人を、国民をバカにした話だと思うんだけどな。


バカにされてるのに気づかないのかな?幼稚だからなぁ。


と、思った、という話です。


はーぁ、寝よ。
 


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居合道とか、その他小規模な〇〇道を、団体の性質も違うだろうに他のスポーツと並べてどーすんの? [ニュース読んでみて]

2018年8月21日のダイヤモンド・オンライン、「剣道連盟で金銭授受問題、『段位』制度はもはや時代遅れ?」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・全日本剣道連盟(全剣連)が統括する剣道、居合道、杖道(じょうどう・木製の棒や木刀を使って形を見せる)の3部門の内、居合道で最高位の八段および、それにつく称号である「範士」の昇段審査で金銭の授受があったという不正が発覚した
・日本の伝統的な武道や芸事ではありがちな話で、茶道や華道に段位はないが、技能の等級を表わす「許状」があって、その取得のためには付け届けが必要だといわれる
・級から始まって、初段から段位を上げていく過程の審査は厳正に行われているはずで、金銭絡みの情実で合格が決まるのは許されることではない
・剣道、柔道の七段、八段は権威的存在で、そこが伝統的な芸事と共通している部分であり、現代の常識との齟齬が生まれる。伝統を守るだけでなく、改めるべきことは改める時期にきているのでは


う~ん・・・?


えーと、全剣連の性質がよく分からないので、あんまり強くは言えないんですけど、

少なくとも俺の印象としては、居合道の団体、あるいは茶道・華道といった芸事の団体と、
最近よく話題になるアマチュアボクシングだの、相撲連盟だのと一緒に並べるのはずいぶん違うんじゃないの?と思います。


俺なんかはハッキリ言っちゃえば、高い段位を取るために、多少付け届けをしようというのは、それはもうそうあってしかるべきなんじゃないの?くらいに思うんですね。

つまり、高段位の人って権威なわけで、その権威というのは居合道やら茶道とか華道そのものの権威であり、
その権威を保つことがその流派を守ることであり、それであれば習っている人が皆でそれを支える・・・つまり、お金をたくさん出すのは当たり前じゃない?と、思うんです。

大体が、7段、8段は権威的な存在、といってるわけだから、

趣味でやってる人は初段、頑張って2段とか取って喜んでりゃいいし、

競技者としてバリバリやりたい人は5段、6段とか取ってガンガンやりゃいいし、

それ以上を取りたいとなれば、言い方は悪いけどそれはもはや趣味の領域、取りたい人が取る領域であって、
そーゆー人は高段位者の権威付けに協力してさ、一杯お金を払えばいいんじゃないの?

なんてなことを思うわけです。

そーゆー意味では、付け届けを取ることがその流派とか、団体の運営方法であり、
高段位が取りたい人がいっぱいお金を払うから、その団体の権威が保たれ、結果団体が存続していく、そのための運営費なんじゃないの、付け届けは?とすら、思う。

付け届けがなくなったら、その団体はどうやって運営していったらいいの?なんか、他のお金を得る手段を提案できるわけ、この記事の筆者は?なんてなことも、思ったりします。


で。


俺がそういう風に思うのは、居合道であったり、華道、茶道みたいなものが、非常に小規模な団体であり、ほぼその団体の中だけで運営が完結するものだから、と思っているからです。

つまり、団体の運営はほぼ生徒からの月謝とかだけで賄われているのではないかな、と。
そーゆー場合、権威付けのためにプラスα、付け届けとかがあるというのは、それは、そーゆーもんなんじゃない?なんて。

付け届けの額で段位を乱発してたらその団体の信頼が下がる、みたいなことはまた別の話で。運営の方法として、そういう方法もあるんじゃないかなぁ、と思ったりするわけです。


で、ね。
に、対してアマチュアボクシングだの相撲だのはどうか。
って、話なんですよ。


アマチュアボクシングはいろいろ大会もあるだろうし、オリンピックという世界最大規模の大会がある。
相撲にしたって、大々的な興行があり、テレビでも放映されている。

これはつまり、生徒からの月謝(アマチュアボクシングだの、相撲だのに月謝があるのかは知りませんけど)みたいな、「団体内部から発生するお金」で団体が運営されているのではなく、

オリンピックだの、興行収入といった、「団体の外からのお金」で団体が運営できる、ということでしょう。

で、あれば、付け届けはよろしくないと思う。

例えばオリンピックにでるために団体にお金を払わないといけないとか、
番付を上げるために団体にお金を払わないといけないとか、

それは完全に団体の上層部が私腹を肥やすためのお金でしょ。
だって、外部からの収入で充分運営もできるし、権威付けもできるんだからさ。
団体内部からさらにお金を吸い上げる必要はないでしょうが。


要するに。


団体の内部でお金を回さないといけない小規模な団体と、
団体外部からのお金で団体運営もできるし、権威付けもできる団体と、

その2つを同列に扱っている時点で、この記事はずいぶん無理があるんじゃないの、と思うわけです。

もちろん、居合道の団体の規模とか、どういう運営なのかが分からないので、分かんないっちゃわかんないですし、

茶道とか華道の団体がすべて、団体運営のためだけに付け届けを要求している清廉な組織だとは思いません。

私腹を肥やすために、必要額以上の付け届けを要求する悪いやつもいるでしょう、そりゃ。

ただ、団体の運営方法がそもそも違うところを、
単純に並べてこいつら悪いことしてたんだぜ、とがなり立てるのは、
ずいぶん浅はかというか、悪意を感じるなぁ、と思うわけです。

じゃぁなに、この記者は、
居合道もオリンピック登録を目指したり、
居合道東京ドーム大会を開いて、テレビ中継されて観客が満員になることを目指すべき、
といいたいわけ?

間違いじゃないかもしれないけど、皆が皆それを目指せってのは、それはずいぶんムチャな話じゃねぇのか?とは、思いますねぇ。


金銭の授受だの、付け届けがどうのこうのって、まぁ、その部分だけ見れば悪いことだろうけど、


小規模な団体であればそういうことが必要なこともあるんじゃないの?


まぁ、その額が適切か、とか、なんかいろいろ問題はあると思うものの、


他のスポーツの団体と同列に扱うというのは、


それはもう、団体の運営方法から何から違うわけだから、いくら何でも無理があるんじゃないのかなぁ。


金銭で段位を決めるようなことをしてはいけないって、清廉潔白気取って気持ちがいいかもしれないけど、


それってあらゆる武道はオリンピック競技になるか、興行収入を得られるくらい有名になるべきだ、って言ってるようなもんで、それはあまりにも無茶なこと言ってると思うよ、


と、思った、という話です。


はーぁ、寝よ。
 


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話自体は別に面白いと思うけどうかつにLGBTと結びつけるなとは思う。 [ニュース読んでみて]

2018年8月16日のITmedia NEWS、「『愛しているので』 2次元キャラと“本気の挙式”、30代男性の葛藤」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・バーチャルシンガーの初音ミクを本気で愛し、結婚式を挙げるために行動している人がいる
・職場でいじめを受け休職していたが、復帰できたのは初音ミクのおかげ
・いろいろなイベントで、自分と同じような思いを持つ人がいることを知り、そういった人の背中を押すために事例を作ろうと、挙式の準備を進めている
・「私はLGBTには該当しませんが、性的少数者だと思っています。2次元にしか性的な感情を抱かないわけですから」と話す。


ふーん。


えーと、この記事に出てくる人をどうこう言うつもりはないんですけど、
このテの記事を変にLGBTみたいなことに結び付けるのって結構危険だと思います。

LGBTの問題をなんか、矮小化する気がするんですよね。

性的少数者の話って、
例えば差別の話であったり、
性的少数者であること自体が犯罪とされたり、
社会の中での扱いみたいなことだったりとか、
ある意味では社会との戦いの歴史、みたいなことがあるわけで。

まぁオタクも散々差別されているから、仮に社会との戦いの歴史の部分は同じだと考えたとしても(笑)

同性婚の話で言えば、キャラクターとではなくて、生きている二人の人間がくっつくわけだから、いろんな法律の問題が出てくるでしょう。

専門家ではないんで正しいかわかりませんけど、
なんだ、相続的なことだったりとか、戸籍上のことだったりとか、男女の夫婦だったらもらえる権利のことだったりとか、それこそ相手がキャラクターではないわけだから、離婚したらどうなるんだ、とか。

その辺の、歴史のことだったり、法律的なことをすっ飛ばして、
この記事の場合であれば結婚式ができたらハッピー、みたいなことを、
いや、もちろん本人が幸せであれば初音ミクと結婚式でも何でもやっていただいたらいいんですけど、
LGBT的なことと結びつけるのは危険、と思います。

というか、LGBTを生産性が無いとか、趣味みたいなもん、と考えている人たちって、この程度の認識なんじゃないかな~、と思います。
つまり、LGBTの人たちは、仮のものであっても婚姻届けが作れたり、結婚式ができればハッピー、くらいの認識で。

だからあーゆー、しょーもない発言がでるんじゃないかな?

かつ、結構一般の人の中にも、そーゆー人っているような気がします。例えば、同性婚がしたいなら、なんか適当に結婚式挙げて、わいわい楽しくやりゃぁいいじゃん、みたいな。
俺自身も、別にLGBTのこととか、法律に詳しいわけでもないので、正しい認識ができてるとは思ってないんですけどね。

本人がいいならキャラクターと結婚式でもなんでも挙げてもらやいいんですけど、こうして記事にして、うかつにLGBTみたいなことを示唆するのって、いいことばかりではないよなぁ、と、思うわけです。


結婚式を挙げたい本人に対しては別に何も文句はないと思うものの、


こーゆー話題をうかつにLGBTの問題と結びつけるようなことをする必要はなくない?


LGBTの問題が矮小化するし、


おかしなとらえ方をするバカが増えてきちゃうと思うんだけど。


と、思った、という話です。



はーぁ、寝よ。
 


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同性愛が趣味とかバカな政治家だと思うものの、そうでない可能性を捨てきれないのは、朝日の記事だから [ニュース読んでみて]

2018年8月1日の朝日新聞デジタル、「同性愛『趣味みたいなもの』 ネット番組で自民・谷川氏」

という記事です。

 

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

 

・インターネット放送で、同性婚のための法整備は不要との見解を示す中で、同性愛を念頭に「多様性を認めないわけではないが、法律化する必要はない。『趣味』みたいなもので」と発言。

・異性間だけに婚姻制度がある理由について「『伝統的な家族』のあり方は、男が女と結婚し、子を授かって、家族ができ、大昔から同じようなことをして、国を衰退させないように、国が滅びないようにしてきた」

・朝日新聞の質問に対し、「LGBTの方々を差別するつもりもなく、多様性を認めていないわけでもありません」

・「申し上げたかったのは、(婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立すると定めた)憲法24条により現状では同性婚の容認は困難であるということ」とのこと。


 

ふーん。


 

えーと、「趣味」という表現がいいかどうか、という話は置いておいて、まぁ言ってることも分からなくはない。

 

同性婚や、夫婦別姓については、各々の心の問題(←このことを「趣味」と表現した?)なのだから、わざわざ法整備をするほどのことではない。

男女が結婚し、子どもができて国が発展していく、ということに比べれば、重要度は高くないでしょう。

 

と、いう立ち位置ですよね。

 

当然、同性愛者であったり夫婦別姓にしたいという当事者からすると冗談じゃない、って話かもしれないけど、

そういう立ち位置もあるわいな、ということは理解できる。


 

で。


 

そのうえで俺が思うのは、

なんつーか、こう、貧乏くせぇ立ち位置だな、と。

 

ちょっと前に同性カップルは「生産性なし」といった杉田水脈氏なんかもそうですけど、なんか、こう、言ってることが貧乏臭くない?と。


 

あの、そういうフェーズがあることは理解できるんですよ。

 

ある時代には、日本全体が貧しくて、

日本国民全部がバリバリ働いて、子どももどんどん産んで、人口ガンガン増やして、ってやっていかないと、国が回らなかった、ということもあったんだと思うんです。

 

そんな時は何しろ人口を増やして経済を回すことが最優先ですから、まぁ「生産性のないこと」が後回しになるのも仕方ないっちゃぁ仕方ない。

 

同性愛者どころか、異性愛者であっても結婚しない、あるいは結婚してても子どもいない、ということが非国民だ、くらいの扱いをされた時代もあったのではないかなぁ、と。

 

それが正しいとは思わないものの、何しろ国を存続させる、国の経済を回す、という大・大・大目標の前で、こぼれてしまうことってのは、あるよね、と思うわけです。


 

で。


 

ある程度日本という国は豊かになりました。

夜でも電気がともってて明るいし、コンビニに行けば24時間食べ物が手に入るし、治安もよくて女性の一人歩きなんかもある程度平気だし。

 

そうなった時に、次は何をすべきかというと、多様化の方向というか、いろんな人がいる中で、いろんな人が豊かに生きられる社会、だと思うんです。

 

例えば医療が未熟だと子どもやお年寄りが病気で死んでしまう可能性が高い。

なので医療を発展させる、とか。

 

貧しい社会では、何らかの理由で働けなくなった人はすぐに飢餓状態になってしまって死んでしまう。

なので、生活保護のシステムを作る、とか。

 

子どもやお年寄り、あるいは働けなくなった人というのは、明らかに「生産性が無い」。

貧しい社会ではすぐに死んでしまう人だったかも知れないのが、今は豊かな社会なので、生き延びられるようになっている。

 

これは生き死にの話ですけど、やっぱり生き方とか、考え方みたいなことにも多様性が認められるのが本当に豊かな社会だと思うわけです。

であれば、やっぱり同性愛者とか、そういう多様な生き方、考え方が認められる方向であるべきでしょう。本当に豊かな社会なのであれば。

 

俺が貧乏臭い考え方だな、と思ったのはそこで。

 

同性愛者は生産性がないとか、趣味みたいなもんとか、生産性に重きを置くのって、

つまり日本国民が全部バリバリ働かないと国が回らない、働けない人は死ぬしかない、みたいな、非常に貧しい時代の発想じゃない?と思うわけです。

 

じゃ、百歩、千歩、万歩譲って、

同性愛者が「生産性が無く」、「趣味みたいなもん」だとして、

でもそういう趣味の人でも、他人に迷惑をかけないなら豊かな人生を送れるのが本当に豊かな社会であって、

政治家であればそこを目指すべきなんじゃないの?と。

 

政治家が貧しい時代の発想しかできず、貧乏くさい発想と貧乏くさい発言しかできないから、時代の変化についていけず、不景気が続いてるんじゃないのか?なんてなことまで思ったりも、します。


 

で、ね。


 

まぁ、問題発言があろうが何だろうが政治家先生様ですから、

俺なんかよりもものすごく頭が良くて、おエリート様でいらっしゃるのでしょう。

 

で、あれば、俺なんかよりも日本の状況が良く見えてて、

そのうえで発言をなさっているのかもしれない。

 

そう考えると、さ。

 

今の日本の状況って、

皆が思っているほど全然豊かでもなんでもなくて、

実は日本国民全員がバリバリ働いて、どんどん子ども産んで、人口増やさないといけない、

貧しい時代の状況と変わらないんじゃないの?

 

国を存続させるためには、家庭を持って、子ども産まなきゃ非国民だ、くらいのことを言って、産めよ増やせよにしないと立ちいかなくなってるんじゃないの?

 

エライ政治家先生様にはその状況が見えてて、こういった発言をされてるんじゃないの?

 

なんてことを考えてみたりも、します(笑)


 

何が恐ろしいってさぁ~、この記事書いてるのが朝日新聞ってことですよね。


 

仮に今回の発言をした政治家が、

今はある程度の犠牲を伴ってでも、産めよ増やせよの生産性を優先すべきだと考えていて、

そうしなければならない日本の危機的な状況も見えていて、

現代ではなかなか言いにくい、差別的と言われる発言をしてでも、

この危機的な状況を伝えなければ、と考えている、

本当に誇り高い政治家だったとしても、

 

朝日新聞だったら、国益を失ってでも、

差別だの、差別じゃねーだのの観念論に平気ですり替えてくるだろうな、と思うんですよ(笑)


 

いろんな立場の政治家がいてもいいとは思うものの、


 

LGBTを生産性が無いだの、趣味だのと言っちゃうのはどうかと。


 

そういうのって戦後すぐとかの、貧しい時代の発想じゃない?


 

ずいぶん発想とか発言が、貧乏くせぇなぁ?なんてなことを思います。


 

でも最近の日本の状況が、戦後すぐみたいなものすごく貧しい状況だと仮定すれば、


 

批判を恐れず、何が何でも経済を発展させることを最重要課題とすべきことを伝えようとした、誇り高い政治家、と見ることもできる。


 

そんな可能性までつい考えてしまうのは、この記事が朝日新聞の記事だからだなぁ(笑)


 

なんてことを思った、という話です。


 

はーぁ、寝よ。


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