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暴力がわりいのは当然なんだけど、ただ単に暴力と少ない国と比べてもしょうがなくね?とも、思う。 [ニュース読んでみて]

2018年9月11日のITmedia ビジネスオンライン、「日本人が『ある程度の暴力は必要』と考える、根本的な原因」という記事です。

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

・スルガ銀行や体操協会等、最近「暴力指導」が次々に明るみに出ている。
・ある調査では、教育にある程度の暴力が必要、という日本人は57%にも上る(体罰が犯罪となるスウェーデンでは10%)
・日本人が教育に暴力を容認するようになるきっかけとなったのは、1885年に文部大臣・森有礼が始めた教育改革で、「教育現場の軍隊化」を進めたとされる。
・暴力指導とは日本人にとって、理性や合理的思考を超越した、もはや信仰のような存在で、「暴力はダメよ」という社会になっても、ひっそりと一部の熱心の「信者」が隠れキリシタンのように守られていき、こっそりと暴力指導が続いていくのだろう。


ふーん。


あの、記事はとても面白かったです。

暴力指導が始まるきっかけとなったことが、そこから来てるんだなぁ、分かんないけど、多分そうなんだろうなぁ、なんて。

で、俺がこういう記事を見て思うことは、

結局、暴力指導の効果のほどはどうなの?そこをちゃんと比較検証しないとあんま意味なくない?

ってことなんですよ。

誤解してほしくないのは、暴力肯定派ではございません、ワタクシ。

ただ、暴力肯定派をどうにかしようとしたら、比較検証しないと意味ないんじゃない?と、思うんです。

一応記事の中では、日本ではある程度暴力容認するのが54%、スウェーデンが10%、とか、そんな比較はありましたけど、
暴力容認派からしたら、そんなもん文化が違うんだからしょうがないだろう、ってだけの話だと思うんですよ。

例えばですけど、スポーツの話で言えば、
〇〇オリンピックで、暴力指導を行っている日本は体操でメダルが〇個しか取れなかったけど、暴力ではない〇〇という指導法を取り入れている〇〇という国は、なんと〇個もメダルを取っているのです!

とか。

暴力指導がまかり通っている日本は、学力テストで世界第〇位だったけど、世界第一位の〇〇という国は、こんな指導法で世界第一位を取っているんです!

とかさ。

そういう比較がいるんじゃないか、と思うわけです。

スウェーデンがどうなのか知りませんけど、仮にスウェーデンが日本よりもスポーツも弱い、学力も低い、経済的にも貧しい、という国だとすれば、仮にそうだとすればですよ、

じゃぁ、暴力指導の方が強い国を作れるんじゃないか、俺の指導は間違ってなかった、
とか考える暴力教師やら上司やらが出てきても仕方ないんじゃないか、と思う。

まぁ、人の幸せはスポーツとか学力とか経済だけじゃ測れない、とかややこしいことを言う人が出るかもしれませんが、それは置いておいて。

暴力指導を否定するなら、そうではないこういうスバラシイ指導方法があるよ、という対案があった方がいいんじゃないかな、と思うんですね。


実際に、暴力容認派がぐうの音も出ないほどの、暴力指導と対を成すような何かスバラシイ指導の方法があるとして、

実際にいろんな成績を比較するとこんな違いがでるんだよ、という話になれば、

まぁ、それでも頑なに暴力をふるい続けるバカはいなくはならないだろうけど、

暴力をふるわなくてもこうすれば成績が伸びる、という話がちゃんと広まれば、

暴力をふるうヤツもやりづらくなってだんだん暴力が減っていくんでないの?

その指導法がちゃんと定着した時に、

スウェーデンみたく体罰を法律で禁止すればいいんじゃないかなぁ。

今、体罰でしか指導できないような未熟な指導者は、

体罰止めれ、とだけ言ってもどうしていいか分かんないような気がするけど。

と、おもった、という話です。


はーぁ、寝よ。
 



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