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その、競争って、勝利って、どうしてもしないといけないの? [ニュース読んでみて]

2017年4月21日東洋経済ON LINEの、

「ディズニーの姫で『ソフィア』が別格な理由『アナ雪』以上?伝統的な価値観からの自由」

という記事です。

去年の記事なんであれですが、俺は最近読んだのでしょうがないじゃないですか(笑)

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

 

・この記事の筆者は、「ディズニープリンセス」とは、旧来の「王子様と幸せに暮らす」「女の幸せは男に与えられるもの」といった、伝統的価値観、恋愛至上主義に縛られていると思っていた

・しかし「アナと雪の女王」を見て考えが変わり、「ちいさなプリンセス ソフィア」に至っては近代的な価値観が描かれており素晴らしいと思っている

・ソフィアが王子の競技である「ペガサス・ダービー」に参加して勝利したり、大人が教育の参考にできるシーンがあったりと、現代的なエッセンスが多く描かれている

・そういった物語を見ている子供を見ると、子供はすでに伝統的な物語から解放されているのかもしれない、と思う


 

ふーん。


 

あの、基本的にはこのテの記事は嫌いです、俺。

 

別にソフィアを否定したいわけではないです、念のため。

 

まぁ、個人的な好みとしてはあんま好きなタイプの物語ではないですけど。それだったらプリンセスが王子様と幸せになるタイプの物語の方が好きですけどねぇ。

 

こういった物語を手放しで称賛する、旧来の価値観からの脱却、女性の時代みたいなこと言ってるタイプの人が気持ち悪い、嫌い、と言ってるんです。


 

いや、ソフィアを見ていないのであんまり強いことも言えないんですけど、ソフィアの物語って、「主人公が、いろいろな障害を乗り越えて、競争を勝ち抜き、最終的には勝利する」物語だと思うんですね。


 

で、そのこと自体は物語の基本であり、基本的にはほぼ全ての物語・・・特に子ども向けの物語は・・・がこの競争して勝利する、というフォーマットを踏襲してますので、それはいいんですが。

 

それを主人公が女性になったことで、現代的な価値観になってて素晴らしい、などとのたまうことはどうかと思うわけです。

 

主人公が男、王子であれば発生しないであろう障害が、プリンセスだと発生する。

 

つまり、記事中のペガサス・ダービーの話であれば、主人公が王子であればすんなりダービーに参加できたろうに、ソフィアが女の子だから、プリンセスのすることじゃない、と反対が起こる。

 

それはより物語がより面白くなる、っていう舞台装置の一つ、くらいに思っておかないといけないんじゃないのかな、と思うんですけど。

 

これがヘンな話、キレイなドレスを着てファッションショーに出たい、という主人公の物語であれば、主人公が王子の方が障害が多くて物語が面白くなるかもしれないですよね?



 

それなのに、「女の子だからという理由で反対されたソフィアが、王子の競技であるペガサス・ダービーに参加する」ということを見て近代的な価値観だ、と持ち上げるのが気持ち悪い。


 

ハッキリ言ってしまいますと、ソフィアの物語・・・少なくともペガサス・ダービーの話に関しては・・・が近代的な価値観で作られているとは思えません。


 

それはなぜかというと、主人公が競争して勝利する、という競争主義、資本主義的価値観の中にあると思うからです。

 

まぁソフィアがペガサス・ダービーの話が全てだとは思いませんけど、

ペガサス・ダービーの話ってつまり、

 

主人公の女の子が、

 

旧来女の世界では無かった世界に、

 

周囲の反対を押し切って飛び込み、

 

自分らしさを発揮して、

 

最終的には勝利する物語。

 

つまり、

 

やりたいことをやれ、

 

男、女は関係ない、

 

自分らしさを発揮しろ、

 

そのためには競争も厭うな、

 

かつ、最終的に勝利しなきゃクズ、

 

という物語ですよね。

 

どこが現代的、新しい価値観なの?主人公が女の子なとこ?


 

いや、別に女は競争に参加するな、と言いたいんじゃないですよ。

男であれ、女であれ、競争して勝利するのが至上、みたいな価値観が、なんだか貧しいなぁと思うだけです。

 

もちろん自分の本当にやりたいこと・・・この記事内のソフィアの場合はペガサス・ダービーをやりたかったんでしょうが・・・をするために、競争に飛び込むことを否定はしません。

 

例えばプロスポーツ選手とか、オリンピックアスリートみたいな人はものすごい競争を勝ち抜いているわけですし、その結果見せるパフォーマンスなんかについてはもちろんすごいと思う。


 

ただ、競争に飛び込んでしまうと勝者より敗者の方が圧倒的に多いわけですし。

 

競争して勝利するのが至上、という価値観の中では幸せになれる人はものすごく少ないのではないかなぁと。

 

ソフィアも結局勝利したからいい話になるのかもしれないけど、反対を押し切ってぼろ負けしてたらクソミソに言われてたろうな、なんてことを思うわけです。

 

割と競争なんかしないで、多様な生き方を認めようよ、というのが最近の価値観なんじゃないんですかね?


 

この、競争して勝つのが至上、という資本主義的価値観は変えることなく、主人公が女の子に変わっていることで、なんてスバラシイ、とか言ってることが気持ち悪い、と思うわけです、俺は。

自分が資本主義の考えに捕らわれている、とは思わないんだろうな、この筆者は。


 

まぁ、日本の子ども向け番組だってヒーローものとかは競争して(戦って)勝利する、という物語なので、それが面白いのは分かりますけど。

 

それの主人公が女の子になったことで、なんてすばらしいんだ、とか言うのはどうかと思う、という話。話として面白いかどうか、だけでいいんじゃねーの?

 

ソフィアはソフィアでいいんですけど、話が面白いのも分かりますけど、


 

主人公が女の子になったってだけで、別に価値観どうこうって意味ではとんでもなく新しいモノだとも思えない。


 

それをなんだか持ち上げてスバラシイ、現代的な価値観だとか持ち上げるよりは、


 

競争して勝利するのが至上、という価値観ではない物語、いろんな価値観の物語をたくさん見させてあげた方がいいんじゃないかなぁ。


 

例えばまんが日本昔話なんて、競争・勝利というフォーマットから外れた物語がたくさんありますよ~。


 

なんだかんだ結局競争して勝利する、という価値観から抜け出せていないから、


 

このテの記事の筆者って俺は気持ち悪いし、違和感を感じるんだなぁ。


 

と、思った、という話です。


 

はーぁ、寝よ。



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