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皆が皆立派な人間じゃないんだよ、夢見がちな人の方が多いんだよ、と、言いたい。 [ニュース読んでみて]

2017年9月2日の文春オンライン、「『君の名は。』『逃げ恥』が高齢童貞・処女を救う」という記事です。

 

2016年12月29日号の週刊文春に載った記事の再録らしいのですが、すみません、俺はこの記事で初めて知りました。

 

内容を無理にまとめるとこんな感じ。

 

・「君の名は。」と「逃げるは恥だが役に立つ」の共通点は、「異性から求められること」と「社会から求められること」の両方が「ありえない設定により同時に実現する」こと。

・現代の若者は、ネット上では活発に交流をしていても「実際に出会い、語り合い、触れあう」という濃密なコミュニケーションが求められる恋愛は、大の苦手となってしまっている

・かつてのトレンディードラマのような、自由で洗練された恋愛などではなく、あらかじめ枠組みを設定された上での「ぎこちなくも初々しい純愛」を求めている

・両作品のヒットは、「異性から求められること」「社会から求められること」という真っ当な欲求を自力でかなえるための、現実的な道筋が極めて見えづらくなっている若い世代からの切実なSOSでもある。


 

はっはーぁ。


 

すみません、俺自身は「君の名は。」も「逃げ恥」も見てないんですが、この記事は面白いと思ったな(笑)

 

えーと、俺が思ったのは、結局のところ「自分の人生は自分で切り開く」みたいなことを思っている人ってあんまりいないんじゃない?ってことで。

 

トレンディードラマが流行っていたころは、まぁ景気が良かったんでしょうから、ちょっと頑張れば自力で人生切り開けたのかもしれないですけど。

 

でも本来的にはやっぱり自分の腕一本で食っていこうとか、組織に所属することなく生活していこうというのは、

どんな時代でもリスキーだし、相当強い意志が必要だろうと思うんですね。

 

サラリーマンという働き方はごく最近のもので、学校を卒業したらほとんどの人がまず就職、なんてのはむしろ歴史としては浅い。

なんて話もありますが、いつの時代も人間は「経営者」と「従業員」という2つに分けられて(ただし時代により呼び方は異なると思いますが)、しかも「従業員」の方が圧倒的に人数は多いんですよね。

 

で、ヘンな話世の中って少数の経営者と大多数の従業員がいる、という前提でいろいろシステムができてたと思うんです。

 

というか、身分制度ってそういうことでしょうよ。

 

ごく少数の王族・貴族と、その他大多数の庶民がいる、という構図は、もろに国を経営する経営者である王族・貴族と、税金を納める庶民は従業員という構図でしょ。

 

それが100%いいってわけではなくて、もちろんそれによる弊害もあると思いますよ。

 

その、奴隷として生まれたら一生奴隷として生きなきゃいけない、とかさ。

王族・貴族が庶民から搾取して私腹をこやしたり、とか。

 

でも身分制度ってずいぶん長いこと人間の歴史の中にあったわけで、うまく回っている分には結構有効なシステムだったんだと思うんですよね。

 

その身分制度の前提は人間は少数の経営者と、大多数の従業員という2つに分けられる、ということではないかと。

 

けっこう長いこと歴史の中にあった身分制度がそういう前提だったってことはこれって結構人間の本質をついているのでは?なんてなことを思うわけです。


 

で。


 

現代の日本では一応身分制度はないわけです。

 

これはつまり、生まれた家が貧乏であったとしても、男でも女でも、(リスクはあるにしても)経営者になったり、資産家になったりすることは可能、ということです。

 

ただ、この記事を読んでいくとそんな、経営者になったり資産家になりたい!という人がどんくらいいるわけ?とか思ってしまう。

 

記事の中で言う「異性から求められること」と「社会から求められること」の両方が「ありえない設定により同時に実現する」こと、これって要は昔で言う「白馬に乗った王子様が迎えに来る」みたいなことでしょ。

 

現代の不景気な日本の中で、何か劇的なことが起こって状況が好転する、ということを夢想するのは分かるけど、じゃぁこの夢想している人たちが景気が良くなって起業しやすい状況になった時に経営者になるかというとそんなことはないだろうな、なんて。

 

多分、身分制度を取っ払ったりとか、自由、平等をうたっている人達って、人間生まれついての鎖みたいなものから解き放たれれば、皆高みを目指す、皆努力する、みたく思ってたんじゃないかなぁ。

 

で、いざ身分制度がなくなってみると、あれ、案外そうでもねーぞ、みたいな。

 

結局従業員気質の人は従業員気質だし、人生自力で切り開くんでなく、なんかの拍子に人生好転する、みたいなことを夢想する人ってかなりたくさんいるみたいだぞ、みたいな。

 

ちなみに俺自身は自由、平等が最上、みたいな思想は基本的には信用してません。

 

人間完全に自由になったら皆向上して、みんな幸せを目指す、みたいな。そんなわけないじゃん、と。

 

いや、俺がそうなので。俺を自由にしちゃったら、毎日ダラダラするに決まってんだから(笑)


 

身分制度を復活させるべしとは思わないものの、

 

身分制度を無くして成功しやすい世の中になっているにもかかわらず、結局あり得ない展開で人生うまくいく、みたいなことを夢想する人が多い以上、

 

自由とか、自己責任とか言っちゃう前に経営者気質と従業員気質に分けられるということは前提として仕組みに組み込むしかないんじゃないかなぁと。

 

いや、結局大概の人間はほっといたらダラダラしちゃうもんですからね。

 

俺を含めた大部分の人間は、立派な人間じゃないんだから(笑)

 

と、思った、という話です。

 

はーぁ、寝よ。

 

 

結局、理想的な展開(告白されるとか)があったとしても、受け止めきれないんだ、童貞には(笑)

 

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