仏教の伝え方を問題にするより、どうしたら本質が失われないかということを議論した方がいいのでは [ニュース読んでみて]
8月3日のAERA、
「檀家制度廃止で収入4倍 仏教界騒然のお寺」という記事です。
内容を無理にまとめるとこんな感じ。
・檀家制度廃止、という改革に着手したお寺がある
・檀家や他のお寺からは厳しい批判もあった
・お布施の定額化や、経理の公開といった改革を行う
・日本の仏教は死後に関わり過ぎている。仏教の教えは本来生きるための教えなので、生きている間に何ができるかを伝えていきたい
ほほーぅ。
えーと、俺が思ったのは、
自己啓発系のセミナーとかで、やたらと盛り上がるヤツを、
宗教みたいとか、セミナー講師を教祖みたいとか揶揄する場合がありますが、
この記事では宗教の方が会社に寄せてきたなぁ、と(笑)
いや、それが悪いことなんて全然思いませんよ。
変な話、現代の会社組織・・・まぁ、物を作って売ってるような会社は別としても、セミナーを全国でやってますとか、コーチングの会社です、みたいな会社って、言っちゃえば宗教みたいなもんでしょ?
なんらかの神様とか仏様は掲げてないにしても、人の考え方に影響を与えて、行動を変える、という意味では。
もちろん行動が変わることに利があるからセミナーとかコーチングの会社は成り立ってるわけですけど、じゃ、仏教がそれをやったっていいじゃない、とは思うなぁ。
むしろ仏教みたいな長い歴史のあるちゃんとした宗教がその辺のことちゃんとやれば、訳のわかんないセミナーにハマって何百万も金とられる、みたいなことが減ったりして、なんて。
まぁ、元記事の中ではセミナーどうこうみたいな話は無かったですけどね(笑)でも今って、仏教の言葉、みたいのが本になって結構売れる、なんてこともありますから、意外といいんじゃないか、なんて思ったり。
で。
この辺の話とか、記事の中で出てきたような話って、結局のところ伝え方の問題ではないか、と思うんですよ。そんで、伝え方によって、もともとの精神が損なわれるってことはないのではないかな、っていう。
かなり乱暴な例えですけど、例えば1+1=2ということを伝えたい時に。
ひろしくんがみかんを1つ持っていました。ひろしくんはみかんをもう1つもらいました。
ひろしくんはみかんをいくつ持っているでしょう?
という問題があった時に。
仮にみかんが無い国でこの問題を出しても、みかんが何か分からないだろうから、みかんをその国にたくさんあるマンゴーに置きかえよう、ってなっても、別に1+1=2という部分は変わりませんよね?
檀家制度を廃してはダメだ!って言ってる人は、みかんをマンゴーに変えたら1+1=2が伝わらなくなる!って言ってる、みたいなもんではないか、という気がする。
もちろんこの例えは単純過ぎるので、いろんなことを説明できてないとは思いますが、
本当に大事なのは、伝え方でなくて本質が変わらないようにすることじゃないか、って気がするんですよね〜。
だから例えば、お布施を定額化して、お寺を株式会社化して、めっちゃくちゃ儲かった時に、
その会社の社長たる住職がめちゃくちゃ高いマンションに住んだり、高級車に乗ったり、女はべらしたりしたらいろいろ本質がズレてくると思うんですよ。
だから、そうならないための仕組みを考える、とかね。
この記事の橋本住職はもちろんそんなことなさらないとは思いますし、
そうならないように心得十ヶ条を設定されてるんだとは思いますが、
じゃぁ、橋本住職のような高潔な志をもっていない生臭坊主が出てきた時にそうさせない仕組みは心得十ヶ条で充分なのか、とか、その辺の検証はまだまだ必要だとは思います。
とはいえ、伝え方、人の集め方みたいなことは時代によって変わるのは当然、
大事なのは仏教の本質、僧侶の本質みたいなことをしっかり考え、
それが失われないようにするにはどうするか、というのを考えなきゃいけないのでは。
と、思った、という話です。
はーぁ、寝よ。
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