ゆりやんのネタに対し、見た目を笑いにするのはご法度、は潔癖すぎると思う。見てないけど。 [ニュース読んでみて]
まぁ、大体がものすごいたくさんの人に読まれてるわけでもないので(笑)どこで書こうが関係ないんですが、まぁ一言で言えばアメブロがいまいち気に食わなかったという・・・
更新頻度はあんま高くないですが、こちらで記事書いていきますんで、よろしくお願いします~
2019年6月19日の女子スパ、「ゆりやん、米テレビ出演に観客は『ドン引き』『大ウケ』と真っ二つ。現地の声を聞いた」という記事です。
無理にまとめるとこんな感じ。
・お笑いタレント、ゆりやんレトリィバァ(28)の米オーディション番組への出演が話題に
・結果は不合格、手拍子しながらノリノリで一緒にダンスをする観客もいれば、「オーマイガー」という表情で首をかしげる観客もいて、その反応が真っ二つに
・今、アメリカのみならず欧米各国で「ボディポジティブ(どんな体型でも自信を持とう)」とする動きが広がっている
・「見た目を笑いにすることは芸には入らない」という意見が欧米のスタンダードであり、本来そうあるべきなのだ
ふーん。
その、前提としてなんですが、俺そもそもゆりやんみたいなお笑いがあんまり好きではないんですが(笑)
わー、体張ってんなぁとか、すげぇ度胸だなぁ、みたいな評価しかしたことが無い。笑ったことはほぼない、かなぁ。
まぁ、それはそれとして。
この記事の感想としましては、体型や容姿を笑いにするのはご法度、というのはさすがに潔癖すぎるのではないか、ということ。
別にいいじゃん、それでも、と。
何かゆりやんが責められることがあるとすれば、
見た目を笑いにする、ということ以外に芸と呼べるようなものが無く、
ダンスとかもレベルが低くて、対して面白くなかった、ということ、何じゃないですかね。
いや、見てないんで知らないんですけど。
ゆりやんの芸が面白くなかったことと、体型や容姿を笑いにするのはご法度だ、ということを結びつけるのはちょっと違うんじゃないか、潔癖すぎるのでは、と思うんです。
あの、逆だったらどうなのかな、と思うんですよ。
逆というのはつまり、
ゆりやんが出たアメリカの番組に、
ものすごくかわいくてスタイルもいい女の子が出て、
ゆりやんのような水着を着て(でも同じ水着なのにすごくセクシーで)、
でもやってることはなんか中途半端なダンス、
かわいい女の子が無様に中途半端なダンスをするのが逆に面白い、
みたいな芸をする人が出たときに、
まぁ、落ちるでしょう、その人は。
その時に、
それは我々の番組で勝ち抜ける芸としてのレベルに達していないから落選ね、
という話にはなったとしても、
かわいい顔とか、大きいオッパイとか、ハリのあるお尻で笑いを取ろうとするなんて、それはご法度だよ!
と、いう話にはなるのかなぁ、と、思う。
それは多分ならないんじゃないかなぁ、と思うんですよね。
もうちょっと練習して、芸を磨いてから来てね、って言われるくらいのもんじゃないかなぁ?
まぁ、かわいい女の子が変なダンスを踊る、というのを笑いにしようというのはそもそもかなり難しいとは思いますが・・・
ブサイクの芸が足りないとブサイクを売りにして笑いを取るなんてご法度だ、と言われ、
かわいい子の芸が足りなくてもかわいいを売りにして笑いを取ろうなんてのはご法度だ、と言われない、というのは、
まぁ、差別とまで言えるかどうかは分かんないですけど、歪みだよなぁ、とは思います。
ゆりやんの芸としては、
ブサイクで、体型も太ってるゆりやんが、
一般的な価値観で言えば美人でスタイルもいい人が着るハズのセクシーな水着を着て踊ったりすることで、
そのギャップが面白い、というものでしょう。
で、面白いと感じる人もいるんでしょうけど、
ダンスのレベルが低くて面白くないとか、
ブスが悪ふざけしてるだけで芸といえるレベルに達してないとか、
そもそもこーゆー下品な芸は嫌いだとか、
そーゆーネガティブな意見が出てくるのもそれはそれで当然だと思うのね。
ただ、それを欧米各国のボディポジティブに結びつけたりして、見た目を笑いにするのはご法度、とか言い出しちゃうのはちょっと違うのでは無いかなぁ、と思うんですよ。
あ、もちろん、見た目を笑いにするような芸は嫌いだ、という好みの問題としての話はアリだと思います。
俺もどっちかというとそのテの笑いは好きじゃないし。
ただ、そういった笑いの好みの話を、ボディポジティブなんつー言葉まで持ちだして、ご法度なんて言い出しちゃったりするのは、
ちょっと大げさで、潔癖すぎじゃないか、と。
仮にスタイルのいい子が変なダンスで笑いを取ろうとした時に、同じことを言うのかい?と。
別に俺はゆりやんのお笑いは好き、俺は嫌い、そんな程度のことでいいんじゃないの?と。
というか、ブサイクの数少ない武器である、笑いを取るななんてそんな残酷なこと言わないでやってくれ、美男美女に勝てる、かもしれない数少ない武器なんだから!と。
そんなことを思った、という話です。
多分、最後のが本音(笑)
はーぁ、寝よ。
佃製作所がブラックではない、というのは、働き方の描き方を変えずに描けると思うんですよね [ニュース読んでみて]
2019年1月8日のITmediaオンライン、「『佃製作所はやっぱりブラック企業』と感じてしまう、3つの理由」という記事です。
内容を無理にまとめるとこんな感じ。
・ドラマ「下町ロケット」は、ロケット技術者から町工場の社長となった主人公・佃航平と、彼が率いる「佃製作所」の社員たちが高い技術力を武器に、さまざまな困難に立ち向かって夢をつかむというストーリー
・このドラマの内容と高視聴率を客観的に眺めてみると、ぶっちゃけ、日本の未来に対する「不安」しか感じられない
・大きく3つの問題がある(1)佃社長による「やりがい搾取」(2)長時間労働を強いる職場の同調圧力(3)とにかく気合いで乗り切る精神至上主義
・中国やベトナムからやって来た労働者に、佃航平はいったいどんな精神論を振りかざすのか。そして、彼らは佃航平の「夢」に賛同して、日本人社員のように文句ひとつ言わず、長時間労働に従事してくれるのか。
はぁ、はぁ。
えーと、ちょっとブラック企業よりに見えるかも知れない記事を書きます。
前提として申し上げておきたいのですが、ブラック企業っつって長時間労働や同調圧力を使って、社員を過労死に追い込むようなレベルのブラック企業について、こんなもんを擁護する気はないです。その前提でお願い致します。
で。
あの、俺自身はですね、サラリーマンでございますが、長時間労働をするつもりは全くないです。
ただ、別に長時間労働しようと思えば、します。
まぁ、むちゃくちゃ言ってるとは思いますが(笑)
その、俺の中でブラック企業って、長時間労働云々もそうなんですけど、
「自分が注ぎ込んだリソースに対して、リターンが少ない、もしくはリターンがあると感じられない」会社だと思うんです。
何が言いたいかというと、まず、1日は24時間ですよね。
で、その24時間の内、食事とか睡眠とかその他いろいろ生活に必要なことで10時間取られるとしましょうか。そうすると残りは14時間ですわ。
その残りの14時間、つまり自分が使えるリソースをどう使うか、もっと言えば自分の将来とかのためにどこにどう投資していくかという話を考えた方がいいと思うんですよ。
例えばその14時間を1時間ずつチップにして、その14枚のチップをどこに賭ける、と考えるとね。
まぁ雇われの身である以上就業規則ってもんがありますから、9時~5時で仕事するとしたら8時間労働でしょ。
そうするとそこにチップ8枚とられますから、残りのチップは6枚で、その6枚をどこに賭けるか、という話があると思うんです。
で、ギャンブルをする時に賭ける場所を決める根拠は、当然勝てる可能性が高いかどうかとか、勝ったときのリターンが大きいかどうか、とかでしょ。
俺が今の会社で長時間労働をしないのはそれで。
つまり今の会社でたくさん残業をする=8枚以上チップを賭けたとしても、リターンが見込めない、俺のチップを賭ける先としてどうか、と思ってるからなんですよ。
何なら毎日毎日8枚チップを賭けることすらもったいないと思ってる。なので残り6枚のチップは極力他の所に賭けたいなぁと思ってるんですね。なんかいろいろ、勉強したりとかさ。
リターンはまぁ必ずしもお金とは限らないかもしれないけど、チップを賭ける枚数が同じならお金がたくさん稼げた方がいいし、やりがいだってあった方がいいでしょう。
人生正解なんてないんだし、可能な限り自分が割りがいいと思うところにチップを賭けたいし、失敗するにしたって納得いく形で賭けて失敗したいもんね。
んで、ね。
会社に対して、俺はチップ14枚全部賭ける!という選択をしたのなら、それはそれでいいと思うんですよ。
つまり、今勤めている会社に対して14枚のチップを全て賭けることで、大きなリターンを得られるに違いない!
例えば一生懸命働けば給料が右肩上がりで上がっていくとか、福利厚生がしっかりしてるから生活の心配はないとか、ドカンと退職金がもらえて退職後も面倒見てもらえるとか、
賭けたチップに対して相応のリターンがある、だから俺はこの会社に全て賭ける!と、言うのならそれはその人の選択じゃない?と。
俺が長時間労働してもいいと思うのは、チップ14枚賭ければ大きなリターンを得られる!と思えば長時間労働も辞さないですよ、ということ。
極端なこと言えば、お前の人生賭けるなら、会社が人生丸ごと面倒見てやるよ、というのならまぁ、長時間労働してもいいかな、とは思うんですよね。
それで言うと、ブラック企業というのはあの手この手・・・やりがい搾取とか同調圧力とか・・・を使って、強制的にチップ14枚全部賭けさせているのに、リターンがものすごく少ない会社のことであって、
社員が自分からチップを賭けたい!と、思わせて、かつ賭けたチップの分しっかりリターンがある会社については、たとえ長時間労働だとしてもブラック企業とは言わない気がする。
逆に言えば、定時上がりのできるブラック企業ってのもあり得そうな気がするけどね。でも定時上がりができるんならチップ6枚を他の副業とかに使うことができるんだから、まぁいいのか・・・
で。
この記事の筆者の言う、佃製作所をどう描くのか、ということなんですけど、
今の熱い技術者のドラマ、何時間も残業して社員一丸となって夢をかなえる、みたいな展開はそのままでいいと思うんです、俺的には。
それに対して、社員が報われてるシーンを追加する、というのはどうでしょうか?
ライバル会社をやっつけた!みたいなシーンだけでなく。
例えば新製品開発が成功して、社員全員に特別ボーナスが出るシーン、とか。
頑張った社員が認められて出世して、給料上がって付き合ってた彼女と結婚出来たシーン、とか。
定年を迎えた社員が退職金でお店を開いて成功するシーン、とか。
佃製作所で経験を積んだ社員が独立、新会社を設立するシーン、とか。
まぁ、特別ボーナス100万円でたぞ!とか具体的な数字出ちゃうと生々しいかもしれないけど(笑)
なんかいろいろドラマの描き方でできるんじゃないかなぁ、という気がします。
ただ搾取されてるわけじゃないぞ、大きなリターンがあるから、社員は納得してたくさんのチップを賭けているんだぞ、ということを描けば、ブラック企業ではない、といえるんじゃないかなぁ、と。
長時間労働かどうかだけでブラック企業かどうかを判断するのはちょっと違うんじゃないかという気がする。
ブラック企業とは、社員が注ぎ込んだリソースに対して極端にリターンが少ない会社のことであって、
社員自体が納得して自分のリソース、ここで言っているのは主に時間ですが、を、注ぎ込んでいるのなら、かつ、リソースに見合った、あるいはそれ以上のリターンが帰ってくるならそれでいいんじゃない?と、思う。
なので、下町ロケットも、社員に対して大きなリターンがあるシーンをたくさん描けば、ブラック企業とは言われなくなるんじゃないですかね。
と、思った、という話です。
まぁ、熱意と根性で開発をしていたエンジニアが、特別ボーナスで浮かれてるシーンとか流すと、それはそれで人気下がるような気もしますけどね、日本人のメンタリティ的に(笑)
はーぁ、寝よ。
嫌だというのは分かりますが、ブスをブスと認めるのと女性蔑視は違うと思うよ、と。 [ニュース読んでみて]
「批判殺到『ちょうどいいブス』。Twitterユーザーの92.7%が否定派『女性を呪うな』『女性蔑視』」
という記事です。
内容を無理にまとめるとこんな感じ。
・「ちょうどいいブスのススメ」というドラマが放送中。原作は、お笑いコンビ「相席スタート」の山崎ケイさんによる同名エッセイで、山崎さんの「モテ技」がまとまったもの。
・「『私って、美人じゃないけど、ブスでもない…』そんな方にこそ、ご提案したい…。『もしかしたら私、ブスなんじゃないかな』と一度、仮定してみませんか?」
「あなたたちの生き方は間違いだらけ! それこそがブス! まずは自分が思っている以上に自分がブスであることを受け入れなさい!」といったメッセージを持つ
・ツイッター上では、「女性蔑視」等のネガティブな反応が92.7%
・そろそろ平成も終わる中で、「容姿イジリ」文化の終焉が来ているのかもしれない
はぁーん。
あの、このテの記事・・・つまり、女性差別だ、女性蔑視だ、という意見を表明している記事についてなんとなく思うことなんですけどね。
大体その、対案がないよね。
それって、基本的にはいろんな人を苦しめるだけだと思うんだけど。
あの、ちょうどいいブスのススメが女性蔑視かどうかは知りません。
ただ、少なくとも原作者の山崎ケイさんについては「ものすごく美人」としての生き方ではなく、自分の容姿のレベルを受け入れ、そのレベルの中でどう生きれば自分の望む人生が手に入るか、ということを考えた結果だと思うんです。
に、対して、この否定している人たちって、なんつーの、じゃぁ自分はどうしよう、みたいなことは全然考えてないんじゃないかな、と。
批判、まぁ、ブスと言われることは嫌だ、それによって生き方が規定されてしまうのも嫌だ、その気持ちは分からなくはないが、じゃぁ、どうすんの?あなたは?超美人としてこの先ずっと生きていくの?という。
あの、念のためお伝えしておきますと、俺自身は、ブスです。
まぁ、どうひいき目に見てもイケメンではない。
どう頑張って評価しても、まぁ中の下がいいとこ・・・という人間です。
ほら、ダメージ少な目になるように言うのが、リアルでしょ?(笑)
仮に俺がものすごいイケメンに生まれていたら、人生違ってたと思いますよ。
イケメンの方が絶対幸せだったかは分からないけど、少なくとも同じ人生は歩んでないと思う。
ただ、それを言ったってしょうがないし、配られたカードで勝負するしかない。そんなの当たり前じゃないですか。
その勝負の仕方が、「ちょうどいいブス」として生きる!と、決めたのであれば、その人はそれでいいじゃん。否定したってしょうがないでしょ。
「ちょうどいいブス」と言われて生きるのも嫌だ、周囲に人生決められたくない、もっともっと自分は輝けるはず・・・みたいなことかしら、これを批判している人たちって。
それって、本人がとっても苦しいと思うんですよ。だって決めてないんだもん、自分の生き方を。そんな状況じゃ自己評価も青天井だし、理想の人生も青天井でしょ。
「ちょうどいいブス」として生きるのも嫌だ、他の生き方でも押し付けられるのは嫌だ、みたく、いろんなことに文句ばっかり言いながら人生終わってくんじゃなかろうか、とか思ってしまうなぁ。
で。
まぁ、日本において女性に用意されている生き方、あるいは価値観が、女性蔑視的なのはそれはそれで分かります。
例えば男の後を黙ってついていくのがイイ女だ、みたいなことだったり、
若いうちに家庭に入っていい母として生きていくべきだ、とか、
男の浮気は甲斐性だけど、女の浮気は許されない、なんてなことがあったりしますわね。
このあたりのことは当然時代にあってないわな、と俺も思いますが、
ただ生き方を押し付けられるのが嫌だ、というのが強すぎて、対案が出てきてない気がします。
ちょうどいいブスに限らず、生き方を押し付けられる感じがして、なおかつ女性蔑視的な臭いが少しでもするとすぐ炎上するでしょ。
さっき書いたようなことは女性蔑視的なのは分かるけど、それに対応する案がない、ような気がするんですよ。
あえて言えば「他人に流されず、主体的に生き方を決め、自分らしく生きる」ことが対案だと思うんですけど、まぁ、男女関係なく苦手でしょ、日本人、それ(笑)
じゃぁその、仮にですけど、
顔もスタイルもバツグンに良くて、
男以上にバリバリ仕事をして金を稼ぎ、
子育てや家事をしっかりと分担して行うパートナー(しかもこのパートナーの年収は妻と同程度)と2人の子どもを育て、
しかも職場やママ友との間でも人気者、
みたいな人が存在して、その人をモデルにドラマが作られたとして、
そんな人の人生がアナタのモデルになりますか?と。
少なくとも俺のモデルにはならないよ、仮に男女が逆だったとしても(笑)
まず俺はブスだし!スタイルも悪いし!
収入も低いし、パートナー、恋人もいないし!
性格もねじくれ曲がってるし!
でもそれはそれでしょうがないじゃん。
その配られたカードの中で勝負するしかないでしょ。
その勝負の成功例が、ちょうどいいブスのススメだとすれば、素直にそれに学んだ方がいいと思いますけどね。
女性蔑視だ、差別だとか言ってる人って、この記事に限らず大抵の場合対案を持ってないかんじがする。
生き方を決められたくない、そんな押しつけは女性蔑視、差別だ、って言ってるだけ、みたいなね。
じゃ、アナタにとっての理想ってなんなの?みたいなことになんの答えも持ってない、みたいな。
昭和的な女性観ではなく、新たな女性の人生モデルを作ろうと考えた時に、
そりゃ世の中(俺も含めて)ブスの方が多いわけだから、超美人の人生をモデルにしたところで参考にできる人は少ないでしょう。
であれば、ちょうどいいブスの話についても、ちゃんと1つの事例として聞いた方がいいんじゃないの?
と、思った、という話です。
ちなみに、この記事で紹介されてたツイートのひとつに、
もう頼むからこれ以上女を呪うなよ、男に対して「自分をちょうどいいブスだと主体的に位置付けて謙虚に生きることで幸せになれるよ
恋愛をしたことがあるない関係なく、この程度の記事しか書けないのがライターってのはどうなんだろうか [ニュース読んでみて]
2018年8月28日のITmedia ビジネスオンライン、「『彼氏がほしいと思ったことがない。結婚もしたくない。老後も好き勝手にやる』アラサー女性の恋愛観に共感・批判が続々」という記事です。
内容を無理にまとめるとこんな感じ。
・“ひとりを楽しむ“がコンセプトのウェブサイト『DANRO』に掲載されたコラムが大きな反響を呼んでいる
・コラムの配信先・Yahoo!ニュースのコメント欄には、1000件近くの意見が寄せられ、理解できないという意見に混じり、共感するという意見も
・共感意見「確かに一緒にいるし、家で2人きりでも何もない異性の友達っているわ」「メイクとか頑張るのが面倒くさい」「ポジティブに考えれば自分の時間、おカネを他のことに使える」
・理解できない意見「本当に愛する人に出会えればメリット・デメリットで恋愛を見なくなる」「面倒くさいからと言ってあえて避けるのも自分の成長につながらないと思っていて、相手を思いやるっていうことの大切さを失っている気がする」
へーぇ。
あの、俺の最初の感想としましては、
まぁ、このライターの書いた記事とか、本とか、
他にあったとしても読む気がしないな、ということで。
このブログを読んでくださっている奇特な方であればお分かりいただけるかと思いますが(笑)
そんな、恋愛もしたことのない女の書いたものなんて読む気がしない!なんてロマンチックな理由では当然なく。
俺がそういう風に思ったのは、知らないこと、分からないことに対する姿勢がそんな程度のライターの書いたものは、読む気がしない、ということです。
あの、恋愛だの、結婚だの、しようがしまいがどうでもいいですよ、ホントに。
この記事に出てくるライターが、
この先結婚しようが、結婚して後悔しようが、
結婚しなかろうが、結婚しなくて後悔しようが、
逆に結婚して幸せになろうが、結婚しなくて幸せな人生送ろうが、
ホントにどーーーでもいい。
その辺は、お好きになさって、という感じです。
俺が言いたいのは、
まぁ、一応肯定派が多数いる恋愛、結婚というもの、
さらに言えば恋愛、結婚はした方がいいよ、とオススメしてくる人が結構な数いる恋愛、結婚について、
関心を持てず、背を向けて30年生きてきた、
ということは周りにいろいろ言われたり、周りが恋愛・結婚をしたりして悲喜こもごもがあったりしたろうに、
それで持った思いがこの程度なの?と、いうことです。
以下、記事内でのこのライターの発言を一部引用しますが、
「支え合いがって言うけど、そんなに支えが必要な場面、ありますか?関係を維持するのに毎週とか2週間に1回とかのペースで会うのって、ちょっと面倒くさいなと思っちゃう。いや〜時間に余裕があるのかな、暇なのかなって思う」
「人から好きでいてもらわないとみたいなのがない。誕生日とかも含めて、イベントごとやりたいっていうのも全然分からない」
「恋愛観に関しては親から何も言われないが、チクチクと結婚については言われたりする。でも気にしていない。今は結婚に対する圧力も減っているので、あんまり結婚願望がない人にも優しくなってきて良いなと思う。お互い好きであれば一緒にいればいいというだけの話なので、それを制度的に法律で、というのはちょっと分からないなと思っている」
・・・うん。
面倒くさい、暇なのかな、分からない。
あの、「恋愛・結婚したい人の考え」が分からないからと言って完全に思考が停止しているだけであり、
このライター独自の視点、切り口もない、
恋愛をしたくないのに周りからのプレッシャーがあって、みたいな鬱屈した思いがあるわけでもなく、
なんの深みもコクもない、ただ分かんねー分かんねー言ってるだけの底の浅い記事だなぁ、と。
まぁ、この記事だけだと編集の都合とか、文字数の都合とかがあって、ライターの意図が反映されてない可能性もあるし、と思って、この記事のさらにもとになったDANROの方の記事も確認しましたけど、
まぁ、そっちの記事も浅い、浅い(笑)
いいとこ、「ちょっと斜に構えた高校生が、恋愛恋愛言って浮かれてる周りに対して、自分はちょっと周りと違うんだぞということを言いたくて、恋愛なんて興味ねーし、という感じの考え方を披露してみました」くらいのレベルかな。
まぁ、ライターだけあって記事を読みやすくする構成力はあるかなぁという感じですけど、プロの技を感じると言えばせいぜいその程度。
要するに、恋愛に興味ない、結婚に興味ない、そのこと自体は大いに結構、ただ切り口とか視点が浅すぎて、記事・考え方としてはクソつまんない、という話です。
これがつまり、最初に言ったこのライターの記事とか、本を読む気がしない、と書いた理由。
まぁ、別に俺ごときがこんなこと言ったって痛くもかゆくもないでしょうが。
別にベストセラーが書きたいわけじゃないし、とか言いそう。
で。
まぁ、今回は恋愛に興味ない側の意見ですが、基本的に片側のことしか考えてない意見って面白くないよね、と思うんですよ。
その、恋愛至上主義、結婚スバラシイみたいな考えでも、今回のライターの記事とベクトルは違っても、ただただ恋愛って素晴らしい、みたいな考え方って読む気がしないと思う。
例えばなんですけど、
幼稚園とか小学生とかで初恋の人に出会い、
学校とか仕事の都合で離れた時期はあったけど、
最終的にはその初恋の人と結婚し、
子宝にも恵まれて、
夫婦共働きでちょっと大変だけど、
二人で協力しながら子育てをし、
今現在も夫婦仲はとてもいい、
みたいな人に、
恋愛って、結婚って素晴らしいよ、
アナタもぜひ恋愛した方がいいよ、
と、言われても、
うっせーよ、ってなるというか(笑)
そんな順風満帆な結婚生活を送ってる人に、いや、別にその人が幸せで、恋愛スバラシイ、結婚最高ってなってることは別に構わないんだけども、その価値観で恋愛って素晴らしい、と言われても、何にも響かないというか、困る、みたいな。
まぁでも、今まではそっち側の意見が多かったのかな。
つまり、恋愛経験者、既婚者が、恋愛ってすばらしいよ、結婚って素敵だよ、みたいな意見だけを言って、一人でいることについては特に考察されてなかった、みたいな。
その意味では新しいのかもしれないですけどね。
恋愛至上主義者の、恋愛スバラシイ側だけのクソつまんない話の対極に位置する、
恋愛どうでもいい主義の、どうでもいい、理解できないというだけのクソつまんない話、みたいな。
新しいかもしれないけど、クソつまんないのは変わらないので(笑)
まぁ、何か価値があるとすれば新しい、ってことだけじゃないですか。だから意見が1000件も集まるんだろうし。なんつって。
恋愛・結婚に興味が持てなかろうが何だろうがどーでもいいけど、
興味が持てないもの、知らないものについて、
分かんねー分かんねー言うだけで、特に考察も何もないというのは、ライターとしてその姿勢はどうなんだろう、と思う。
そんな程度の姿勢のライターの記事なんぞ、恋愛をしたことある・ないに関わらず、読む気がしないなぁ、という。
とはいえ、今までの社会の中では、
恋愛・結婚って素晴らしい、恋愛したことないなんて分かんねー、理解できねー、みたいな、そういう恋愛しない側について考察も何もない意見というのがはびこってたのかなぁ。
そういう意味では、世にはびこっている意見と真逆のことをあえて言った、ということに価値がある記事なのかもね、
まぁ、クソつまんないのは変わらないけど(笑)
と、思った、という話です。
はーぁ、寝よ。
普通に考えたら市長はエロい目で見てるわけではないと思うんだけど、じゃ、ボーダーはどこ?という。 [ニュース読んでみて]
2018年11月6日の朝日新聞デジタル、「市長『汗で下着が見えるほど』 中学生の活動紹介で発言」という記事です。
内容を無理にまとめると、こんな感じ。
・同県瑞穂市の棚橋敏明市長(68)が6日、被爆地・長崎市へ派遣した中学生の活動の様子を説明した際、「セクハラになるかもしれないが」と前置きして「汗でブラウスが透け、下着が見えるほどだった」と発言
・市長は取材に対し「坂の多い街で、非常に暑い中、汗をかきながら頑張っていた中学生の一生懸命さを表現したいと思った。」
・「セクハラの意図はまったくなかった。そのように捉えられたとしたら心外だ」とのこと。
・棚橋市長の発言は、瑞穂市が2012年に始めた、広島や長崎に中学生を派遣する活動について紹介する際に出た。
あっはっはっはっは。
あの、前提としまして、下着はダメだろう、と思います。
別にこの市長を擁護する気はない、単純にもっと別の表現方法があっただろ、そんなこと言ったらセクハラ扱いされるに決まってるじゃん、という意味ではこの市長相当問題ある、と思います。
ただ、恐らくなんですけど、この市長はホントにセクハラのつもりはなかったんじゃないかと思うんですね。
それはつまり、
女子中学生が、一生懸命作業をしているのを見て、
別にこの市長の股間がパンパンになっていたのではないだろうな、と。
性的な目線で見ていたわけではないんだろうな、と思うんですよ。
汗でブラウスがすけて下着が見えているぜ、げっへっへ、久しぶりに俺の息子も元気になってきやがった、とか思っていたわけではないと思う。
心の底から、女子中学生が頑張っているな、と感じたんじゃないかと思うんですよね、そこで下着が透けていたとしても。
ただまぁ、この市長がガチのロリコンで、女子中学生の下着で70手前にしてガッチンガッチンになっちゃってたとするといろんな前提が崩れるんだけどな。まぁ、そこは市長を信じて(笑)
市長の方は別に性的な目で女子中学生の下着を見ていたのではなく、ホントに中学生が頑張っているな、素晴らしいな、という目で見ていたんだろうと思う。
とは言え、セクハラって基本的には受けた側がどう感じたかなので、
市長が性的な目で見ていないにしても、下着を見られていたと思った中学生の方は気持ちわりぃと思うだろうし、
まぁ、俺なんかが客観的に見ても下着見てた発言はマズイだろう、と、思う。
で。
俺がこの記事面白いなと思うのは、
じゃぁ、どこまでならセクハラとされないんだろうか?と。
市長が女子中学生の下着を見て興奮してたわけじゃないだろう、ということを書きましたが、
あくまでも見てる方が性的に興奮していない、という前提で、
どこまでがセクハラとされないんだろうか、という。
これ、各地の市長がチキンレース的にいろんな部位を挙げていけば、結構しっかりしたセクハラのボーダーラインができるんじゃないだろか、と思うんですよね(笑)
「下着が見えていた」、といった市長はアウトです。こんだけ叩かれてますし。
「額に汗していた」といってもまぁ、セクハラとは言われないような気がするなぁ。
「うなじにも汗が」なんてのはどうだ?ちょっとセクシーに見えちゃうかも(笑)
「二の腕に汗が滴っていた」というのはどうだろう?腕くらいなら叩かれないんだろうか?
「足まで汗をかいて」だったらどうだろう。足なら大丈夫な気がするけど、「太ももに」だとアウトな気がするな(笑)
あの、下着を見ると性的興奮を覚える人がたくさんいるから、それはセクハラだ、というのはまぁまぁわかります。
ただ、上で挙げたうなじだの二の腕とか太ももなんてのも、フェチ的な人はまぁまぁいるし、全然性的な目で見られるよ、ご飯3杯は行けるよ!なんて人もたくさんいるだろう、と思うのね。
性的な、いやらしい目で見ればセクハラだ、というのなら、下着はもちろんのこと、うなじを見ようが二の腕を見ようが太ももを見ようが、それはセクハラになると思うんですよ。
ただ、反対に、うなじで興奮するなんて意味わかんない、って人もいっぱいいるだろうし、
そもそも女子中学生なんて子どもにしか見えない、仮に素っ裸でいたとしたって興奮なんかしない!という人もたくさんいると思うんだよな。
や、つーか、この市長もそうなんじゃないかと思います。
まぁ、普通の感覚で言ったらそうですよね、70歳近い人が中学生を見たら、まぁ孫・ひ孫の世界だろうし、この市長と同年代の人だったら女子中学生の下着を見ようが裸を見ようが性的興奮を覚える人の方がだいぶ少ないんじゃない?と、思う。普通に。
つまり、この記事って、
見てる方に全く性的な意図がなかったとしても、
「下着」を見ていたと発表するのはアウト。
という記事だと思うんですよね。
性的な、いやらしい目で見ていたら上のカギかっこの中が何であれセクハラになると思うんですが、
見る方に性的な意図がなかったとしたら、カギかっこの中はどこまでが許されるんだろう?
まぁ、受け取る側の感じ方ってことはあるにしても、それって結構、セクハラのボーダーとしては重要なんじゃない?なんてなことを思う、わけです。
まぁ、「下着」はアウトだと思うけどね(笑)
全国の市長が、次々と女子中学生の体のいろんな部位を見て、頑張っていた、というスピーチをし始めて、マスコミや世間に叩かれなかった部位を集めてみたらどうだろう。
結構リアルな、セクハラに関するボーダーラインができるんじゃなかろうか。
まぁ、市長もそんなことで人生賭けるのはイヤだろうけど(笑)
ブラウスが透けて下着が見えていた、なんて言っちゃうのはアウトだろう、と思うものの、
普通に考えれば市長の方はいやらしい目では見ていなかったんじゃないの?とも思う。
そうは言っても下着て、アナタ。それはマズいでしょ。というのは分かりますが、
じゃぁいやらしい目で見ていなかった場合、どこまでだったら許されるんだ?ということには割と興味があるなぁ。
まぁ、この市長がガチのロリコンで、女子中学生の下着見て興奮しちゃってるとなると、この記事の前提が崩れちゃうんだけどね(笑)
と、思った、という話です。
はーぁ、寝よ。